寛政かんせい)” の例文
のこのこと床からい出した歌麿は、手近の袋戸棚をけると、そこから、寛政かんせい六年に出版した「北国五色墨ほっこくごしきずみ」の一枚を抜き出した。
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
これは寛政かんせい御改革のみぎり山東庵京伝さんとうあんきょうでん黄表紙御法度きびょうしごはっと御触おふれを破ったため五十日の手鎖てぐさり、版元蔦屋つたや身代半減しんだいはんげんという憂目うきめを見た事なぞ
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
伊勢いせの国、飯高郡いいだかごおりの民として、天明てんめい寛政かんせいの年代にこんな人が生きていたということすら、半蔵らの心には一つの驚きである。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
すると其の翌年寛政かんせい十年となり、大生郷村の天神様からひだりに曲ると法恩寺ほうおんじ村という、其の法恩寺の境内に相撲が有ります。
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
その一は『古言清濁考こげんせいだくこう』であって、これは享和きょうわ元年に版になっております。もう一つは『仮名遣奥山路かなづかいおくのやまみち』で、これには寛政かんせい十年の序があります。
古代国語の音韻に就いて (新字新仮名) / 橋本進吉(著)
この様な比喩ひゆを申上げるのは失礼かも知れませんが、閣下は多分寛政かんせい以前に飛行機を製作した岡山の表具師幸吉のことを御聞及びでございましょう。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
私の家は商家だったが、旧家だったため、草双紙、読本その他寛政かんせい天明てんめい通人つうじんたちの作ったもの、一九いっく京伝きょうでん三馬さんば馬琴ばきん種彦たねひこ烏亭焉馬うていえんばなどの本が沢山にあった。
明治十年前後 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
しかして寛政かんせい白川楽翁しらかわらくおう松平定信まつだいらさだのぶ〕の施政は多少の反動的風潮を帯びていたので、かえって蘭学を抑えたような傾向もあるが、すでに日本に植付けられし洋学は年一年に成長に向い
文身ほりものというのは、元は罪人の入墨いれずみから起ったとも、野蛮人の猛獣脅しから起ったとも言いますが、これが盛んになったのは、元禄げんろく以後、特に宝暦ほうれき明和めいわ寛政かんせいと加速度で発達したもので
抽斎はこの詩を作ってから三年ののち弘化こうか元年に躋寿館せいじゅかんの講師になった。躋寿館は明和めいわ二年に多紀玉池たきぎょくち佐久間町さくまちょうの天文台あとに立てた医学校で、寛政かんせい三年に幕府の管轄かんかつに移されたものである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それを本尊にして人の短所を真似る寛政かんせい以後の詩人は善き笑ひ者に御座候。
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
元來がんらい日本につぽん古墳こふん研究けんきゆうは、かの高山彦九郎たかやまひこくろう林子平はやししへいなどゝとも寛政かんせい三奇士さんきしといはれた蒲生君平がまうくんぺいが、御歴代ごれきだい御陵ごりようこはれたり、わからなくなつてゐるのをなげいて、自分じぶん各地かくち御陵ごりよう探索たんさく
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
寛政かんせい二年の洒落本禁止令は京伝の手足を奪ってしまった。
戯作者 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
寛政かんせい五年六月中旬の事であった。
壁の眼の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
去頃さるころより御老中ごろうじゅう水野越前守様みずのえちぜんのかみさま寛政かんせい御改革の御趣意をそのままに天下奢侈しゃしの悪弊を矯正きょうせいすべき有難き思召おぼしめしによりあまねく江戸町々へ御触おふれがあってから
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それを本尊にして人の短所を真似る寛政かんせい以後の詩人はき笑い者に御座候。
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
浮世絵風俗画は鈴木春信すずきはるのぶ勝川春章かつかわしゅんしょう鳥居清長とりいきよながより歌麿うたまろ春潮しゅんちょう栄之えいし豊国とよくにの如き寛政かんせいの諸名家に及び円熟の極度に達せし時
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それは実に寛政かんせいの末つころ、ふとおのれがまだ西丸にしのまる御小姓おこしょうを勤めていた頃の若い美しい世界の思出されるまま、その華やかな記憶の夢を物語に作りなして以来このかた
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
政美のはじめて『蕙斎人物略画式けいさいじんぶつりゃくがしき』をいだせしは寛政かんせい七年にして『北斎漫画』初篇梓行しこうさきんずること正に二十年なり(寛政七年北斎は菱川宗理ひしかわそうりと称し多く摺物を描けり)
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
春信でて後、錦絵は天明てんめい寛政かんせいに至り絢爛けんらんの極に達し、文化ぶんか以後に及びてたちま衰頽すいたいかもすに至れり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それより数代を経て寛政かんせい年間の主を幽林といひ博学多材にして門生多く一時に名をなせり。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)