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びやうき
主人の
書生は
彼の
犬が
病氣で
病院へ
這入る一ヶ
月前とかに、
徴兵檢査に
合格して
入營したぎり
今では
一人もゐないのださうであつた。
不知庵主人の
譯に
成りし
罪と
罰に
對する
批評仲々に
盛なりとは
聞けるが、
病氣其他の
事ありて
余が
今日までに
見たるは
僅に
四五種のみ
一
向きに
病氣とばかり
思ひぬれば、
與四
郎限りもなく
傷ましくて、
醫者にかゝれの、
藥を
呑めのと
悋氣は
忘れて
此事に
心を
盡しぬ。
勘次はお
品が
病氣に
罹つたのだといふのを
聞いて
萬一かといふ
懸念がぎつくり
胸にこたへた。さうして
反覆してどんな
鹽梅だと
聞いた。
其方儀嘉川家
嫡子の身分を以て常々
不行跡の由沙汰有之の處
當時病氣にて存命も
量り難き由是に
因て全快まで
親類へ御預仰付らる
ハヾトフは
折々病氣の
同僚を
訪問するのは、
自分の
義務で
有るかのやうに、
彼の
所に
蒼蠅く
來る。
彼はハヾトフが
嫌でならぬ。
上京して、はじめの
歸省で、それが
病氣のためであつた。
其頃、
學生の
肺病は
娘に
持てた。
書生の
脚氣は
年増にも
向かない。
無論、
妻は
大佐の
病氣次第で
早かれ
遲かれ
歸つて
來ますが、
兒は
永く/\——
日本帝國の
天晴れ
軍人として
世に
立つまでは、
芙蓉の
峯の
麓を
去らせぬ
積です。
「えつ! お
母あにさ。お
母あは
此頃、すこし
病氣してゐるんだ」とは
言つたものの、
心の
中では「すまない、すまない」と
手をあはせるばかりでありました。
繭玉のかたちを、しんこで
造つてそれを
竹の
枝にさげて、お
飼蠶さまを
守つて
下さる
神さまをも
祭りました。
病氣で
倒れた
馬のためには、
馬頭觀音を
祭りました。
『
病氣に
良くない、』『
雨が
降りさうですから』など
宿の
者がとめるのも
聞かず、
僕は
竿を
持て
出掛けた。
人家を
離れて四五
丁も
泝ると
既に
路もなければ
畑もない。
『そんな
事が
出來るも
ンですか』と
云つて
愛ちやんは
優容に、『では、
皆な
病氣になつたでせう』
私が
病氣して
海岸に
行かなかつたならば
海岸に
行つて
宿の
窓から、
海の
方を
見てゐなかつたならば——、
彼女は
末男と
夫婦にならずに、
見ず
知らずの
人として
終つたかもしれない。
新年が
停滯てゐるのは
實に
苦しいですよ。
夫で
今日の
午から、とう/\
塵世を
遠ざけて、
病氣になつてぐつと
寐込んぢまいました。
お
品の
病氣を
案ずる
外彼の
心には
何もなかつた。
其當時には
卯平に
不平をいはれやうといふやうな
懸念は
寸毫も
頭に
起らなかつたのである。
「
其のかはり、
昨日下百姓から
納めました、
玄麥が
五斗ござんしたね、
驢馬も
病氣をして
居ます、
代驢磨麺贖罪」と
云ふ。
貴方などは、
才智は
勝れ、
高潔ではあり、
母の
乳と
共に
高尚な
感情を
吸込まれた
方ですが、
實際の
生活に
入るや
否、
直に
疲れて
病氣になつて
了はれたです。
知らねばこそあれ
眞實なる
詞にうら
耻かしく、
面すこし
打ち
赤めて、
否とよ
病氣は
最う
癒りたり、
心配かけしが
氣の
毒ぞと
我れ
知らず
出る
侘の
言葉に、
何ごとの
仰せぞ
同道致し城下へ參り
榎本屋三藏に頼み
加納將監樣へ
御針奉公に出し
遣し候に其
後病氣なりとて
宿へ下り母の
許に居候が何者の
胤なるか
懷姙致し居候故
村中取り/″\
噂を
久しぶりで
孤獨の
生活を
行つて
居る、これも
病氣のお
蔭かも
知れない。
色々なことを
考へて
久しぶりで
自己の
存在を
自覺したやうな
氣がする。これは
全く
孤獨のお
蔭だらうと
思ふ。
自分の
病氣はその
後上京して、すぐに
結核性の
關節炎だといふ
事がわかつたのだと、まち
子は、ふと
夫の
顏を
見ながら
考へた。その
時、まち
子はもはや
起き
上ることが
出來なかつた。
ところが
丁度玄竹に
取つて
幸ひなことには、
多田院別當英堂和尚が
病氣になつて、
開帳中のことだから、
早く
本復させないと
困るといふので、
玄竹のところへ
見舞を
求むる
別人が
來た。
作者は
何が
故にラスコーリニコフが
氣鬱病に
罹りたるやを
語らず
開卷第一に
其下宿住居を
點出せり、これらをも
原因ある
病氣と
言て
斥けたらんには、この
書の
妙所は
終にいづれにか
存せんや。
はい、
兄の
病氣は、
妾が子ープルスに
歸つてから、
三月程※て、
名殘なく
全快して、
今は
人一倍に
健全に、
英國から
新造軍艦の
廻航中、
此「
日の
出」に
乘つて
居る
事は
貴方も
御覽の
通りです。
『さう/\、
大變な
病氣』と
福鼠が
云ひました。
それが
睡眠中の
身體の
置きやうで一
時の
變調を
來したのだかどうだか
分らないにも
拘はらず、
彼は
唯病氣故だと
極めて
畢つた。
「
平常の
樣に
犬がゐると
好かつたんですがね。
生憎病氣なので、四五
日前病院へ
入れて
仕舞つたもんですから」と
主人は
殘念がつた。
宗助も
然うしますとね……
私の
方が
見直しました
二日目の
夜中です……
隣の
室においでなすつた
御婦人の、
私と
同じ
病氣でした。
醫學の
原則は、
醫者等をして
貴方に
實を
云はしめたのです。
然しながら
私は
軍人風に
眞向に
切出します。
貴方に
打明けて
云ひます、
即ち
貴方は
病氣なのです。
でも
他の
人ではなし
僕ではないか
何んな
事でも
言ふて
宜さそうなもの、まあ
何の
病氣だといふに、
病氣ではござんせぬ、
唯こんな
風になつて
此樣な
事を
思ふのですといふ
申達せらるゝに伊豆守殿も
捨置れずと御
評議の上小石川
御館へ此段申上られける
此時中納言綱條卿
思召るゝ樣奉行越前
病氣屆致せしは自ら紀州表へ
取調に參し者か
但は家來を
『
貴樣は
豪い
人になるのだから、
決して
病氣位に
負てはならん
病氣を
負かしてやらなければ』と
言つて
僕を
勵げましたことがあります。
伸一先生は
決して
此意味を
舊式に
言つたのではありません。
あけては
夫にも
告げられねば、
病氣の
介抱を
斷ると
云ふわけに
行かないので、あい/\と、
内に
殘る
事に
成つたのは、
俎のない
人身御供も
同じ
事で。
私が
惡う
御座りました
免して
免してと
胸を
抱いて
苦しさうに
身を
悶ゆれば、
雪子や
何も
餘計な
事を
考へては
成りませぬよ、それがお
前の
病氣なのだから、
學校も
花もありはしない
忘れもしません、
僕が
病氣で
學校を
休んで
居ると、
先生が
訪て
來て
此の
山の
上なる
峠の
茶屋を
思ひ
出す——
極暑、
病氣のため、
俥で
越えて、
故郷へ
歸る
道すがら、
其の
茶屋で
休んだ
時の
事です。
門も
背戸も
紫陽花で
包まれて
居ました。
兄樣も
此處にお
出でなさつては
居ないのに、
何か
見えるやうに
思ふのが
病氣なのだから
氣を
落つけて
舊の
雪子さんに
成つてお
呉れ、よ、よ、
氣が
附きましたかえと
脊を
撫でられて
詣づる
人があつて
神佛から
授かつたものと
思へば、
屹と
病氣が
治りませう。
私も
幸福なんです。
よ、お
前が
此樣な
病氣になつてから、お
父樣もお
母樣も
一晩もゆるりとお
眠になつた
事はない、お
疲れなされてお
痩せなされて
介抱して
居て
下さるのを
孝行のお
前に
何故わからない
口々に
押宥め、
民子も
切に
慰めて、お
前の
病氣を
看護ると
謂つて
此處に
足は
留められぬ。
御新造は
驚きたるやうの
惘れ
顏して、
夫れはまあ
何の
事やら、
成ほどお
前が
伯父さんの
病氣、つゞいて
借金の
話しも
聞ましたが、
今が
今私しの
宅から
立換へようとは
言はなかつた
筈
處へ、
御新造お
君さんが、
病氣と
云ふ
事、
引籠り、とあつてしばらく
弗と
姿が
見えぬ。
世話にこそなれ
恩もなにもなき
我が
身が、
常日ごろ
種々の
苦勞をかける
上にこの
間中よりの
病氣、それ
程のことでも
無かりしを、
何故か
氣が
欝ぎて、
心にも
無き
所置ありしかもしれず
「これ、
何が
來た。それ、な、
病氣ぢやに
因つてお
目には
懸られぬと
言ふのぢや。」
姉さんと
呼ばるれば三
之助は
弟のやうに
可愛く、
此處へ
此處へと
呼んで
背を
撫で
顏を
覗いて、さぞ
父さんが
病氣で
淋しく
愁らかろ、お
正月も
直きに
來れば
姉が
何ぞ
買つて
上げますぞえ
私の
知りあひに、
御旅館とは
表看板、
實は
安下宿に
居るのがあるが、
秋のながあめ、
陽氣は
惡し、いやな
病氣が
流行ると
言ふのに、
膳に
小鰯の
燒いたのや、
生のまゝの
豆府をつける。
表向きには
何とも
無い
月日を
大凡どの
位送つた
物で
御座んすか、
今の
千葉が
樣子を
御覽じても、
彼れの
子供の
時ならばと
大底にお
合點が
行ましよ、
病氣して
煩つて、お
寺の
物に
成ましたを