“罹”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
かか82.6%
かゝ13.1%
2.0%
0.6%
0.3%
0.3%
かかっ0.3%
0.3%
カカ0.3%
トヅガ0.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
坊門ノ宰相清忠は、そうそう下山して行ったが、途中の輿こしのうちでも、瘧病おこりかかったようなだるい熱ッぽさを持ちつづけて帰った。
勘次かんじはおしな病氣びやうきかゝつたのだといふのをいて萬一もしかといふ懸念けねんがぎつくりむねにこたへた。さうして反覆くりかへしてどんな鹽梅あんばいだといた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
そのチブスにかった二人の水夫というのは、船長が最近に、新嘉坡シンガポールで拾い上げて、水夫長に押し付けたものであった。
幽霊と推進機 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
それ故に同じ操觚そうこでも天下の木鐸ぼくたくとしての新聞記者を希望して、官報局をめた時既に新聞記者たらんとして多少の運動をもした位だから
二葉亭追録 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
病と死亡の数字が、二十、四十、いや百以上にも及ぶ、とあるかと思うと、そのすぐあとで、えき病のいっさいの出現が、きっぱりと打ち消されていないまでも、すくなくとも全くまれな
開戦にさきだって、火災にったのは、ともすれば他を恃みたくなる雑念を焼き払って、一層、われわれの信念を強固にしてくれたようなものだ。その意味で祝杯を
日本名婦伝:谷干城夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
次第々々に減量して、や穏になるまでには三年も掛りました、と云うのは私が三十七歳のときひどい熱病にかかって、万死一生の幸を得たそのとき、友医の説に
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
うして又、ヒステリーにったんでしょう。」と、冬子は不意に顔をげた。お葉に掴みこわされた前髪のひさしくずれたままで、掻上かきあげもせぬ乱れ髪は黒幕のように彼女かれの蒼い顔をとざしていた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
コノ四国ハ、二十年余ノ兵乱ニツテ、民屋ミンヲクハ兵火ニカカリ、村里ソンリノ業ハ破レ、田野ハ芒草バウサウオホハレ、五年三年ノ間ハ、ナホ、耕農モ整ハズ、五穀ノ満ツル日モナカラン。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だケエに十年も後家ごけ立デデせ、ホガガらワラシもらわらの上ララそだデデ見デも、羸弱キヤなくてアンツクタラ病氣ネトヅガれデ死なれデ見れば、派立ハダヂ目腐めくさ阿母アバだケヤエに八十歳ハチヂウ身空みそらコイデ
地方主義篇:(散文詩) (旧字旧仮名) / 福士幸次郎(著)