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越中
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えっちゅう
ふりがな文庫
“
越中
(
えっちゅう
)” の例文
能登
(
のと
)
・
越中
(
えっちゅう
)
の境あたりの時鳥は、「弟恋し、掘って煮て食わそ」と啼いていた。これも山の薯の話であったことは説明をするまでもあるまい。
野草雑記・野鳥雑記:02 野鳥雑記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
この網状のものでは、
越中
(
えっちゅう
)
や
岩代
(
いわしろ
)
に見事なのを見かけた。これらの形態や構造の変化を調べたら一冊の本になるであろう。
蓑のこと
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
古井の三氏および今回出資せる
越中
(
えっちゅう
)
富山の米相場師某ら稲垣と共に新町遊廓に豪遊を試み、妾も
図
(
はか
)
らずその席に招かれぬ。
妾の半生涯
(新字新仮名)
/
福田英子
(著)
けれど、数日、井伊谷に滞在していた佐々成政が、やがて
勇躍
(
ゆうやく
)
して、自領の
越中
(
えっちゅう
)
富山
(
とやま
)
の城へ帰ったことは事実である。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
鷲津次郎長世より
凡
(
およそ
)
十三世を経て、鷲津
九蔵宗範
(
きゅうぞうむねのり
)
なるものが
天正
(
てんしょう
)
十三年八月
越中
(
えっちゅう
)
の国の合戦に
前田利家
(
まえだとしいえ
)
に従い深手を
蒙
(
こうむ
)
り、後に
志津ヶ岳
(
しずがたけ
)
の戦に手柄をなした。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
▼ もっと見る
「あああの、
越中
(
えっちゅう
)
の
蛎波
(
となみ
)
へ
通
(
かよ
)
う街道で、
此処
(
ここ
)
に来る道の
岐
(
わか
)
れる、目まぐるしいほど馬の通る、
彼処
(
あすこ
)
だね。」
薬草取
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
というのは、越後、
越中
(
えっちゅう
)
、
飛騨
(
ひだ
)
の国あたりから信濃の国へかけて、また西は木曾川のある美濃の国の
苗木
(
なえぎ
)
までの道すじはずっと大昔からの道というからであります。
力餅
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
青森
(
あおもり
)
あたりだとききました、
越中
(
えっちゅう
)
から出る薬売りが、
蓴菜
(
じゅんさい
)
が
一
(
いっ
)
ぱい浮いて、まっ
蒼
(
さお
)
に
水銹
(
みずさび
)
の深い湖のほとりで
午寐
(
ひるね
)
をしていると、急に水の中へ沈んでゆくような
心地
(
こころもち
)
がしだしたので
糸繰沼
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
この間還俗されて宗良の御俗名を用いられ、
伊勢
(
いせ
)
・
遠江
(
とおとうみ
)
・
越後
(
えちご
)
・
越中
(
えっちゅう
)
等におられたが、おもには信州におられたので、信州大王と申しあげている。後村上天皇崩御になり、親房も薨去した。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
仕方が無いから分散して、夫婦の中に十歳になりますお繼という娘を連れて、
行
(
ゆ
)
く
処
(
ところ
)
もなく、
越中
(
えっちゅう
)
の国
射水郡高岡
(
いみずごおりたかおか
)
と云う処に、
萬助
(
まんすけ
)
という以前の奉公人が達者で居ると云うから、これを頼って
行
(
ゆ
)
き
敵討札所の霊験
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
右手は
越後
(
えちご
)
、
越中
(
えっちゅう
)
、正面は
信濃
(
しなの
)
、
飛騨
(
ひだ
)
、左手は
甲斐
(
かい
)
、
駿河
(
するが
)
。見わたす山々は、やや遠い距離を保って、へりくだっていた。しかも彼らは、雪もて、風もて、おのれを守り、おのれの境をまもっていた。
雪の武石峠
(新字新仮名)
/
別所梅之助
(著)
大阪の天王寺
蕪
(
かぶら
)
、函館の
赤蕪
(
あかかぶら
)
、秋田のはたはた魚、土佐のザボン及び
柑
(
かん
)
類、
越後
(
えちご
)
の
鮭
(
さけ
)
の
粕漬
(
かすづけ
)
、
足柄
(
あしがら
)
の
唐黍
(
とうきび
)
餅、
五十鈴
(
いすず
)
川の
沙魚
(
はぜ
)
、山形ののし梅、青森の
林檎羊羹
(
りんごようかん
)
、
越中
(
えっちゅう
)
の
干柿
(
ほしがき
)
、伊予の
柚柑
(
ゆずかん
)
、
備前
(
びぜん
)
の沙魚
墨汁一滴
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
「
越中
(
えっちゅう
)
富山
(
とやま
)
だったね?」
凡人伝
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
いわゆる
囲炉裏
(
いろり
)
に該当する府県の方言は、五つまではすでに挙げてみたが、ほかにまだ一つの別系統の語が、
能登
(
のと
)
から
越中
(
えっちゅう
)
にかけてかなりよく残っている。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
この六月四日、
越中
(
えっちゅう
)
魚崎
(
うおざき
)
の陣にあって、本能寺の変を知ったとき、とたんに感じたこともそれであった。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
大野郡、
久具野
(
くぐの
)
の
郷
(
さと
)
が位山のあるところで、この郷は南は美濃の国境へおよそ十六里、北は
越中
(
えっちゅう
)
の国境へ十八里、東は信濃の国境へ十一里、西は美濃の国境へ十里あまり。
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
北陸道というのは、
若狭
(
わかさ
)
、
越前
(
えちぜん
)
、これが福井県。
加賀
(
かが
)
、
能登
(
のと
)
、これが石川県。
越中
(
えっちゅう
)
、これが
富山
(
とやま
)
県。
越後
(
えちご
)
、
佐渡
(
さど
)
、これが
新潟
(
にいがた
)
県。以上の七国四県であります。昔はこの地方を「
越
(
こし
)
」の国と呼びました。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
越中
(
えっちゅう
)
・
越後
(
えちご
)
などのボッカたちは、太い野球の棒のような、頭が
撞木
(
しゅもく
)
になり、もしくは
二股
(
ふたまた
)
になったものを
杖
(
つえ
)
に突いていて、休む時にはそれで背の荷をささえる。
母の手毬歌
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
越後
(
えちご
)
越中
(
えっちゅう
)
の方面からも六十六万石の高に相当する人足がこの御通行筋へ加勢に来ることになったが、よく調べて見ると、それでも足りそうもないと言う父の話は半蔵を驚かした。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
加賀
(
かが
)
、
越中
(
えっちゅう
)
の境、
河北郡
(
かほくごおり
)
の
朝日山
(
あさひやま
)
に、いつのまにか、新しい
砦
(
とりで
)
が築かれた。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかし
能登
(
のと
)
や
越中
(
えっちゅう
)
の村々では、
総
(
すべ
)
ての小鳥籠をスズメカゴといって、他の名前はまだないのである。
野草雑記・野鳥雑記:02 野鳥雑記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
越後
(
えちご
)
、
越中
(
えっちゅう
)
の人足の世話から、御一行を迎えるまでの各宿の人々の心労と尽力とを見る目があったら、いかに
強欲
(
ごうよく
)
な京都方の役人でもこんな暗い手は出せなかったはずであると語った。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
わけて、
越中
(
えっちゅう
)
の
佐々成政
(
さっさなりまさ
)
は、さきに小牧の大乱が
兆
(
きざ
)
すと
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
越中
(
えっちゅう
)
文人の居住地が、ちょうど西隅に偏していたことを意味するもので、現に今日でも富山県の海岸では、方角によって
能登
(
のと
)
アイと、宮崎アイとの二つのアイの風がある。
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
越中
(
えっちゅう
)
では
訛
(
なま
)
ってコボレと謂い、またナカマとも謂っている。ナカマはすなわち中間食の意で、九州でも
薩摩
(
さつま
)
の南端でナカンマとも呼んでいるから、かなり古くからの名であったことがわかる。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
この人去ってのち一つずつ無くなってしまったというが、鹿々もその一つのように思うとのことである。ただし文句の
翻訳口調
(
ほんやくくちょう
)
になっているのは、
越中
(
えっちゅう
)
の
下新川
(
しもにいかわ
)
のが最も近いだけで、越後では
こども風土記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
“越中”の意味
《固有名詞》
越中 (えっちゅう)
「越中国」を参照。
ベトナムと中国の略。中国では中越と表記。
(出典:Wiktionary)
“越中(
越中国
)”の解説
越中国(えっちゅうのくに)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。北陸道に属し、現在の富山県に属する。
(出典:Wikipedia)
越
常用漢字
中学
部首:⾛
12画
中
常用漢字
小1
部首:⼁
4画
“越中”で始まる語句
越中褌
越中守
越中国
越中島
越中境
越中立山
越中守綱利
越中沢
越中者
越中屋