越中えっちゅう)” の例文
能登のと越中えっちゅうの境あたりの時鳥は、「弟恋し、掘って煮て食わそ」と啼いていた。これも山の薯の話であったことは説明をするまでもあるまい。
この網状のものでは、越中えっちゅう岩代いわしろに見事なのを見かけた。これらの形態や構造の変化を調べたら一冊の本になるであろう。
蓑のこと (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
古井の三氏および今回出資せる越中えっちゅう富山の米相場師某ら稲垣と共に新町遊廓に豪遊を試み、妾もはからずその席に招かれぬ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
けれど、数日、井伊谷に滞在していた佐々成政が、やがて勇躍ゆうやくして、自領の越中えっちゅう富山とやまの城へ帰ったことは事実である。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鷲津次郎長世よりおよそ十三世を経て、鷲津九蔵宗範きゅうぞうむねのりなるものが天正てんしょう十三年八月越中えっちゅうの国の合戦に前田利家まえだとしいえに従い深手をこうむり、後に志津ヶ岳しずがたけの戦に手柄をなした。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「あああの、越中えっちゅう蛎波となみかよう街道で、此処ここに来る道のわかれる、目まぐるしいほど馬の通る、彼処あすこだね。」
薬草取 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
というのは、越後、越中えっちゅう飛騨ひだの国あたりから信濃の国へかけて、また西は木曾川のある美濃の国の苗木なえぎまでの道すじはずっと大昔からの道というからであります。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
青森あおもりあたりだとききました、越中えっちゅうから出る薬売りが、蓴菜じゅんさいいっぱい浮いて、まっさお水銹みずさびの深い湖のほとりで午寐ひるねをしていると、急に水の中へ沈んでゆくような心地こころもちがしだしたので
糸繰沼 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
この間還俗されて宗良の御俗名を用いられ、伊勢いせ遠江とおとうみ越後えちご越中えっちゅう等におられたが、おもには信州におられたので、信州大王と申しあげている。後村上天皇崩御になり、親房も薨去した。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
仕方が無いから分散して、夫婦の中に十歳になりますお繼という娘を連れて、ところもなく、越中えっちゅうの国射水郡高岡いみずごおりたかおかと云う処に、萬助まんすけという以前の奉公人が達者で居ると云うから、これを頼って
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
右手は越後えちご越中えっちゅう、正面は信濃しなの飛騨ひだ、左手は甲斐かい駿河するが。見わたす山々は、やや遠い距離を保って、へりくだっていた。しかも彼らは、雪もて、風もて、おのれを守り、おのれの境をまもっていた。
雪の武石峠 (新字新仮名) / 別所梅之助(著)
大阪の天王寺かぶら、函館の赤蕪あかかぶら、秋田のはたはた魚、土佐のザボン及びかん類、越後えちごさけ粕漬かすづけ足柄あしがら唐黍とうきび餅、五十鈴いすず川の沙魚はぜ、山形ののし梅、青森の林檎羊羹りんごようかん越中えっちゅう干柿ほしがき、伊予の柚柑ゆずかん備前びぜんの沙魚
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
越中えっちゅう富山とやまだったね?」
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
いわゆる囲炉裏いろりに該当する府県の方言は、五つまではすでに挙げてみたが、ほかにまだ一つの別系統の語が、能登のとから越中えっちゅうにかけてかなりよく残っている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この六月四日、越中えっちゅう魚崎うおざきの陣にあって、本能寺の変を知ったとき、とたんに感じたこともそれであった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大野郡、久具野くぐのさとが位山のあるところで、この郷は南は美濃の国境へおよそ十六里、北は越中えっちゅうの国境へ十八里、東は信濃の国境へ十一里、西は美濃の国境へ十里あまり。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
北陸道というのは、若狭わかさ越前えちぜん、これが福井県。加賀かが能登のと、これが石川県。越中えっちゅう、これが富山とやま県。越後えちご佐渡さど、これが新潟にいがた県。以上の七国四県であります。昔はこの地方を「こし」の国と呼びました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
越中えっちゅう越後えちごなどのボッカたちは、太い野球の棒のような、頭が撞木しゅもくになり、もしくは二股ふたまたになったものをつえに突いていて、休む時にはそれで背の荷をささえる。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
越後えちご越中えっちゅうの方面からも六十六万石の高に相当する人足がこの御通行筋へ加勢に来ることになったが、よく調べて見ると、それでも足りそうもないと言う父の話は半蔵を驚かした。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
加賀かが越中えっちゅうの境、河北郡かほくごおり朝日山あさひやまに、いつのまにか、新しいとりでが築かれた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし能登のと越中えっちゅうの村々では、すべての小鳥籠をスズメカゴといって、他の名前はまだないのである。
越後えちご越中えっちゅうの人足の世話から、御一行を迎えるまでの各宿の人々の心労と尽力とを見る目があったら、いかに強欲ごうよくな京都方の役人でもこんな暗い手は出せなかったはずであると語った。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
わけて、越中えっちゅう佐々成政さっさなりまさは、さきに小牧の大乱がきざすと
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
越中えっちゅう文人の居住地が、ちょうど西隅に偏していたことを意味するもので、現に今日でも富山県の海岸では、方角によって能登のとアイと、宮崎アイとの二つのアイの風がある。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
越中えっちゅうではなまってコボレと謂い、またナカマとも謂っている。ナカマはすなわち中間食の意で、九州でも薩摩さつまの南端でナカンマとも呼んでいるから、かなり古くからの名であったことがわかる。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この人去ってのち一つずつ無くなってしまったというが、鹿々もその一つのように思うとのことである。ただし文句の翻訳口調ほんやくくちょうになっているのは、越中えっちゅう下新川しもにいかわのが最も近いだけで、越後では
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)