まかり)” の例文
九助と娶合めあはせおき候處右九助儀先年江戸表奉こうまかり出候に付里并びに私しども跡へ殘り居り九助留守中取續き方難澁なんじふ仕つり候を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
更科山さらしなやまの月見んとて、かしこにまかり登りけるに、おおいなるいわにかたかけて、ひじれ造りたる堂あり。観音を据えたてまつれり。鏡台とか云う外山とやまに向いて、)
唄立山心中一曲 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
なほまた愚僧が先年寄宿まかりあり候芝山内青樹院の様子につきては、その後聞き及び候処によれば、愚僧突然行衛ゆくえ不明に相なり候に付き、その節学寮にては
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
重之助ともに周旋致し候えども異船へ近寄るべき手段これ無く、その内下田港へ相廻り候に付き、同所へまかり越し、異人上陸を見受け書翰並に別啓の策を投じ置き
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
「面白うない。京弥、そろそろまかり帰るかのう。精進日という奴じゃ。土左船に出会うようでは釣れぬわい。ウフフフ。主水之介の眉間傷も小魚共には利き目が薄いと見ゆるよ」
益御安泰可成御座候然ニ先頃ハまかり出段〻御セ話難有次第奉万謝候。
右門くわだてノ儀ハ、兵学雑談、あるいハ堂上方ノ儀、その外恐入候不敬ノ雑談申散もうしちらし候ハ、其方共申立もうしたてヨリ相知レ候、大弐ハ死罪、右門儀ハ獄門まかり成、御仕おき相立候ニ付、不届ナガラうったえ人ノ事故此処ヲ以テ
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
武具と香木との相違はそれがし若輩ながら心得居る、泰勝院殿たいしょういんでんの御代に、蒲生がもう殿申されそろは、細川家には結構なる御道具あまた有之由なれば拝見にまかりいずべしとの事なり、さて約束せられし当日に相成り
それのみ心配まかりあり候。
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
で、居候のわっしに、代理として一杯、いんえただ一つだけ。おしるしに頂戴してくれるようにと申すんで、や、も、御覧のとおり不躾ぶしつけながらまかり出ました。
唄立山心中一曲 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
かくて又享保きやうほ二年五月廿六日双方さうはう共明廿七日たつこく評定ひやうぢやう所へまかり出べき旨差紙さしがみあり依て願人相手方のこらず評定所腰掛こしかけ未明みめいより相つめる抑も評定所に於て吟味ぎんみのありしは
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
蟄居ちっきょの身分にるとも下総守殿通行の途中へまかり出で御処置を相伺い見込の趣き申立て、もし御取用いこれ無く自然行われざる次第に至らば、その節は一死殉国の心得を以て
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
其節は主税之助も屹度きつと請合うけあひ私ども兩人ならびそう右衞門等證人同樣其せきまかり在候所主税之助實子すけ五郎出生の後は先平助遺言ゆゐごんもどり我が子に家督かとくつがせんと種々しゆ/″\惡謀あくぼうかまへ藤五郎を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
後浦賀表へ亜墨利加アメリカ船渡来、神奈川沖に碇泊まかりあり、退帆致すべしと承るに及んで宿志をぐべしと存じ、ひそかに渋木松太郎こと重之助儀も同志に候とて、連立ちて横浜村へまかり越し候処
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
「もう一度夫人おくさま御執成おとりなし遊ばして、お許されまするよう、恐入りますが、貴老あなたから。」「まかり成らぬ。別に何を毀損こわしたというではなし、ただ御家風にあわぬじゃで、御詫おわびの仕様も無いさ。」
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ぜん申しました沢井様へ出入の大八百屋が、あるじ自分でまかり出ましてさ、お金子かねの行方を、一番ひとつ、是非、だまされたと思って仁右衛門にみておもらいなさいまし、とたって、勧めたのでございますよ。
政談十二社 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)