烏森からすもり)” の例文
蠣殻町は浜町に比ぶれば気風ぐつと下りたりとて、浜町の方にては川向かわむこうの地を卑しむことあたかも新橋芸者の烏森からすもりを見下すにぞ似たりける。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
河井酔茗かわいすいめい氏の『山田美妙評伝』によると、美妙斎は東京神田柳町に生れ、十歳の時には芝の烏森からすもり校から、ともえ小学校に移り、神童の称があったという。
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
質屋という商売をきらったのである。そこで米次郎もやむを得ずに芝の烏森からすもりに移って、小さな骨董こっとう屋をはじめた。
花を持てる女 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
奴さん自暴自棄やけくそになって、もと往ったことのある烏森からすもり待合まちあいへ往って、女を対手あいてにして酒を飲んでいたが、それも面白くないので、十二時ころになって自宅うちへ帰ったさ
雨夜草紙 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
女にも厭気がさしていたので、河岸かしをかえてちょくちょく烏森からすもりの方へ足を運びはじめていた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
烏森からすもりの辻まで行った時だ、真ん丸に塊まった一団の人数が、むこうからこっちへ走って来た。誰かに追われているようだった。武士さむらいもいれば町人もいた。男もいれば女もいた。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
土橋どばしなゝめ烏森からすもり、とまちもおどろ/\しく、やがて新橋驛しんばしえきいて、づぶ/\と濡幌ぬれほろたゝんでで、𤏋ぱつあかるつたところは、暴風雨あらしふね燈明臺とうみやうだい人影ひとかげくろく、すた/\とまばらに往來ゆきかふ。
大阪まで (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
わたしを殺して行かしやんせツて言やがるんだ、ハヽヽヽヽ、そりやサウと、オイ、昨夜ゆうべ烏森からすもり玉翁亭ぎよくをうていに車夫のことで、演説会があつたんだ、所が警部の野郎多衆おほぜい巡査を連れて来やがつて
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
所はしば烏森からすもりで俗に「はやしの屋敷」と呼ばれていた屋敷長屋のはずれのうちだったが、家内うち間取まどりといい、庭のおもむきといい、一寸ちょっと気取った家で、すべ上方かみがた風な少し陰気ではあったが中々なかなかった建方たてかたである
暗夜の白髪 (新字新仮名) / 沼田一雅(著)
十二時打ってから半時間ばかり、いつもの刻限にお千代はバアから帰った振りで、実は婆さんの家から、その夜は烏森からすもりへ廻り、そこからえんタクに乗って来た。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
銀子自身があまり商売にれてもいないので、子供の見張りや、芸事を仕込んでもらうつもりで、烏森からすもりを初め二三カ所渡りあるいたという、二つ年上の女を、田村町から出稽古でげいこに来る
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
小僧等の目をさへ驚かしたる篠田方の二個ふたり女性をんな、老いたるは芸妓殺げいしやころしを以て満都の口のかゝりたる石川島造船会社の職工兼吉の母にて、若きは近き頃迄烏森からすもり左褄ひだりづま取りたる花吉の変形なり
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
島なき場所も柳島やなぎしま三河島みかはしま向島むかうじまなぞと呼ばれ、森なき処にも烏森からすもりさぎもりの如き名称が残されてある。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
近頃烏森からすもりから住み替えて来た、あだっぽいところでよく売れる癲癇てんかんもちの稲次、お神が北海道時代にもらって芸者屋に預けておいた養女の梅福、相撲すもうの娘で小粒できりりとしたおしゃくの小福
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
早くも見て取つたる一人声振り上げ「其れへ打たせ玉ふは、烏森からすもりに其人ありと知られたる新春野屋の花吉殿ならずや」呼ばれて芸妓は振り向きつ「オヽ、ふ貴殿は河鰭氏かはひれうぢ」と晴やかなるまなこゑみ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
島なき場所も柳島やなぎしま三河島みかわしま向島むこうじまなぞと呼ばれ、森なき処にも烏森からすもりさぎもりの如き名称が残されてある。