北上きたかみ)” の例文
おれのはもっとずっと上流の北上きたかみ川から遠くの東の山地まで見はらせるやうにあの小桜山の下の新らしくひらいた広い畑を云ったんだ。
台川 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
私の生れは、岩手県といっても、県庁のある盛岡市から、汽車で五つ目の日詰ひづめで下りて、それからさらに一里半の北上きたかみ川の対岸である。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
十八日、朝霧あさぎりいと深し。未明狐禅寺こぜんじに到り、岩手丸にて北上きたかみを下る。両岸景色おもしろし。
突貫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
北上きたかみ岸辺きしべ目に見ゆ
一握の砂 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
おれのはもっとずっと上流の北上きたかみ川から遠くの東の山地まで見はらせるようにあの小桜こざくら山の下の新らしくひらいた広い畑を云ったんだ。
台川 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
千古の水の北上きたかみ
雲は天才である (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
北上きたかみ川の水は黒の寒天よりももっとなめらかにすべり獅子鼻ししはなかすかな星のあかりの底にまっくろに突き出てゐました。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
北上きたかみ川の水は黒の寒天よりももっとなめらかにすべり獅子鼻ししはなかすかな星のあかりの底にまっくろにき出ていました。
二十六夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
北上きたかみ川の西岸でした。東の仙人せんにん峠から、遠野を通り土沢を過ぎ、北上山地を横截よこぎって来る冷たいさるいし川の、北上川への落合から、少し下流の西岸でした。
イギリス海岸 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
種山たねやまはらといふのは北上きたかみ山地のまん中の高原で、青黒いつるつるの蛇紋岩じゃもんがんや、硬い橄欖岩かんらんがんからできてゐます。
種山ヶ原 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
話はここでも、本線の方と同じやうに、昨日までの雨と洪水のうはさでした。大抵南の方のことでした。狐禅寺こぜんじでは、北上きたかみ川が一丈六尺増したとたれかが云ひました。
化物丁場 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
はるかの北上きたかみあおい野原は、今きやんだようにまぶしくわらい、むこうのくりの木は、青い後光をはなちました。
種山ヶ原 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
光ったりかげったり、幾重いくえにもたた丘々おかおかむこうに、北上きたかみの野原がゆめのようにあおくまばゆくたたえています。かわが、春日大明神かすがだいみょうじんおびのように、きらきら銀色にかがやいてながれました。
種山ヶ原 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
それは本とうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川のきしです。北上きたかみ川の西岸でした。
イギリス海岸 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
とおくの百舌もずの声なのか、北上きたかみ川のの音か、どこかでまめにかけるのか、ふたりでいろいろ考えながら、だまっていてみましたが、やっぱりどれでもないようでした。
ざしき童子のはなし (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
今日は三年生は地質ちしつ土性どせいの実習だった。斉藤さいとう先生が先に立って女学校のうら洪積層こうせきそうだい泥岩でいがん露出ろしゅつを見てそれからだんだん土性を調しらべながら小船渡こぶなと北上きたかみきしへ行った。
或る農学生の日誌 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
汽車はやみのなかをどんどん北へ走って行く。盛岡もりおかの上のそらがまだぼうっと明るくにごって見える。黒いやぶだの松林まつばやしだのぐんぐんまどを通って行く。北上きたかみ山地の上のへりが時々かすかに見える。
或る農学生の日誌 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
わたくしがつかれてそこにねむりますと、ざあざあいてゐたかぜが、だんだんひとのことばにきこえ、やがてそれは、いま北上きたかみやまはうや、野原のはらおこなはれてゐた鹿踊しゝおどりの、ほんたうの精神せいしんかたりました。
鹿踊りのはじまり (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
わたくしがつかれてそこにねむりますと、ざあざあいていた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上きたかみの山の方や、野原に行われていた鹿踊りの、ほんとうの精神を語りました。
鹿踊りのはじまり (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
また、北上きたかみ川の朗妙寺ろうみょうじふちわたもりが、ある日わたしに言いました。
ざしき童子のはなし (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
けれどもわたくしたちの学校ではそれはできなかったのです。ですから、生れるから北上きたかみ河谷かこく上流じょうりゅうの方にばかりた私たちにとっては、どうしてもその白い泥岩層でいがんそうをイギリス海岸とびたかったのです。
イギリス海岸 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)