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勝頼
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かつより
ふりがな文庫
“
勝頼
(
かつより
)” の例文
ましてや、
梅雪入道
(
ばいせつにゅうどう
)
は、
武田家譜代
(
たけだけふだい
)
の
臣
(
しん
)
であるのみならず、
勝頼
(
かつより
)
とは
従弟
(
いとこ
)
の
縁
(
えん
)
さえある。その
破廉恥
(
はれんち
)
は小山田以上といわねばならぬ。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
前髪の時分にゃあ忠臣蔵の
力弥
(
りきや
)
か二十四孝の
勝頼
(
かつより
)
を見るようで、ここから船にお乗りなさる時は、往来の女が立ちどまって眺めているくらいでした
半七捕物帳:53 新カチカチ山
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
尤も書くのはこつちの勝手、相手は
維盛
(
これもり
)
樣だつて
勝頼
(
かつより
)
樣だつて、惚れて惡いつて法はないけれど、それを相手に屆けるからうるさいことになるんでせう。
銭形平次捕物控:311 鬼女
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
こゝに
信州
(
しんしう
)
の
六文錢
(
ろくもんせん
)
は
世々
(
よゝ
)
英勇
(
えいゆう
)
の
家
(
いへ
)
なること
人
(
ひと
)
の
能
(
よ
)
く
識
(
し
)
る
處
(
ところ
)
なり。はじめ
武田家
(
たけだけ
)
に
旗下
(
きか
)
として
武名
(
ぶめい
)
遠近
(
ゑんきん
)
に
轟
(
とゞろ
)
きしが、
勝頼
(
かつより
)
滅亡
(
めつばう
)
の
後
(
のち
)
年
(
とし
)
を
經
(
へ
)
て
徳川氏
(
とくがはし
)
に
歸順
(
きじゆん
)
しつ。
十万石
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
この書は、それ自身の標榜するところによると、
武田信玄
(
たけだしんげん
)
の老臣
高坂弾正信昌
(
こうさかだんじょうのぶまさ
)
が、
勝頼
(
かつより
)
の
長篠
(
ながしの
)
敗戦のあとで、若い主人のために書き綴ったということになっている。
埋もれた日本:――キリシタン渡来文化前後における日本の思想的情況――
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
▼ もっと見る
『二十四孝』
十種香
(
じっしゅこう
)
の
場
(
ば
)
の幕明を見たるものは必ず
館
(
やかた
)
の階段に長く
垂敷
(
たれし
)
きたる
勝頼
(
かつより
)
が
長袴
(
ながばかま
)
の美しさを忘れざるべし。
浅倉当五
(
あさくらとうご
)
が雪の子別れには窓の格子こそ
実
(
げ
)
に恩愛の
柵
(
しがらみ
)
なれ。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
夜具の
袖
(
そで
)
に首を
突込
(
つっこ
)
んで居たりけりさ、今の世の
勝頼
(
かつより
)
さま、チト
御驕
(
おおご
)
りなされ、アハヽヽと笑い
転
(
ころ
)
げて
其儘
(
そのまま
)
坐敷
(
ざしき
)
をすべり
出
(
いで
)
しが、跡は
却
(
かえっ
)
て
弥
(
いや
)
寂
(
さび
)
しく、今の話にいとゞ恋しさまさりて
風流仏
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
これに対して武田勢は、先陣に
小山田信茂
(
おやまだのぶしげ
)
、
山県昌景
(
やまがたまさかげ
)
、
内藤昌豊
(
ないとうまさとよ
)
、
小幡信貞
(
おばたのぶさだ
)
ら。だい二陣に
馬場信春
(
ばばのぶはる
)
、武田
勝頼
(
かつより
)
ら。信玄の本隊はその後づめとなり、
魚鱗
(
ぎょりん
)
の陣形をもって南下し
来
(
きた
)
った。
死処
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
それを聞いたのが
勝頼
(
かつより
)
で「面白い壺だ、持って来るがいい」
大捕物仙人壺
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
それはむりではない、
武田家重代
(
たけだけじゅうだい
)
の軍宝——ことに父の
勝頼
(
かつより
)
が、
天目山
(
てんもくざん
)
の
最期
(
さいご
)
の場所から、かれの手に送りつたえてきたほど大せつな
品
(
しな
)
。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「また、武田
勝頼
(
かつより
)
が滅亡したときに」と甲斐は続けて云った
樅ノ木は残った:03 第三部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
「はあ、
勝頼
(
かつより
)
様と同国ですな。」
眉かくしの霊
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
「富士の
人穴
(
ひとあな
)
で、二千の
軍兵
(
ぐんぴょう
)
をかかえながら、
勝頼
(
かつより
)
の
遺子
(
いし
)
、
武田伊那丸
(
たけだいなまる
)
に追いまくられて、こんどはわしへとりいる気だな」
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
武田
勝頼
(
かつより
)
は三十の春を迎えていた。
亡父
(
ちち
)
の信玄よりは遥かに
上背丈
(
うわぜい
)
もあり、骨ぐみも
逞
(
たくま
)
しかった。美丈夫と呼ばれるにふさわしい風貌の持主であった。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ここには古くからある白梅や紅梅がもう
綻
(
ほころ
)
びかけ、
勝頼
(
かつより
)
は今も、叔父の武田
逍遥軒
(
しょうようけん
)
と共に、奥の丸からその梅林のあいだを縫いながら、
鶯
(
うぐいす
)
の声をよそに
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ことし天正三年のつい先月、五月の初めには、信長は
岐阜
(
ぎふ
)
を出て、徳川家康とともに、甲山の精鋭武田
勝頼
(
かつより
)
の大軍を
長篠
(
ながしの
)
に破って、もう岐阜へ
凱旋
(
がいせん
)
していた。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
甲州武田は、常に、織田家にとって、背すじの寒い脅威だったが、その武田家と縁談が結ばれて、
信玄
(
しんげん
)
の第四子
勝頼
(
かつより
)
へ、信長の
女
(
むすめ
)
が近く嫁ぐことに運ばれていた。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すでにかの
甲州
(
こうしゅう
)
方面では、信長、信忠の指揮下に、大軍甲信国境からながれこんで、ちょうどこの日、武田
勝頼
(
かつより
)
は運命の非を知って、その拠城
新府
(
しんぷ
)
にみずから火を放ち
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
小幡、内藤、
山県
(
やまがた
)
などの
譜代
(
ふだい
)
をはじめ、
逍遥軒
(
しょうようけん
)
孫六、伊奈四郎
勝頼
(
かつより
)
、武田
上野介
(
こうずけのすけ
)
などいう一族にいたるまで、およそきょうの軍議に列した者は、
踵
(
くびす
)
をついで帰って行った。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
部隊部隊の旗じるし
馬簾
(
ばれん
)
などを見ても、また勝頼の前後をかためてゆく旗本たちの
分厚
(
ぶあつ
)
な鉄騎隊を見ても、甲軍衰えたりとは、どこからも見えなかった。殊に、大将
伊那
(
いな
)
四
郎
(
ろう
)
勝頼
(
かつより
)
の面上には
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
勝
常用漢字
小3
部首:⼒
12画
頼
常用漢字
中学
部首:⾴
16画
“勝頼”で始まる語句
勝頼公
勝頼君
勝頼主従