前方むこう)” の例文
前方むこうを見ると高い山が半天にそそりたっていた。曾はとてもその山を越えることができないと思った。曾は妻と向きあって泣いた。
続黄梁 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
しかも二人の立っている位置は、前方むこうを見ても峨々ががたる山、後方うしろを見ても聳える山、右も左も山と谷の、荒涼寂寞こうりょうせきばくたる境地である。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
何でも皆が駈出すのに、俺一人それが出来ず、何か前方むこうが青く見えたのを憶えているだけではあるが、兎も角も小山の上のこのはたで倒れたのだ。
そこで小児こどもは、鈴見すずみの橋にたたずんで、前方むこうを見ると、正面の中空なかぞらへ、仏のてのひらを開いたように、五本の指の並んだ形、矗々すくすく立ったのが戸室とむろ石山いしやま
薬草取 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
大異は橋などを尋ねる暇がないので、そのまま水の中へ走り込んで、全身をずぶ濡れにしながらやっと前方むこうの岸へあがった。
太虚司法伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
……そのあとから、鼠色の影法師。女の影なら月につちはずだに、寒い道陸神どうろくじんが、のそのそと四五尺離れた処を、ずっと前方むこうまで附添ったんだ。
歌行灯 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
シュッシュッという弾丸たまの中を落来おちくる小枝をかなぐりかなぐり、山査子さんざしの株を縫うように進むのであったが、弾丸たまは段々烈しくなって、森の前方むこうに何やら赤いものが隠現ちらちら見える。
前方むこうを睨んだ。部屋の壁と、紙帳の側面とで出来ている空間が、ただ、暗く細長く見えるばかりで、敵の姿は見えなかった。頼母は、ソロソロと進んだ。すぐに、紙帳の二つ目の角まで来た。
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
黒い山の背がやはり前方むこうの空を支えていた。暗い谷間たにあいの方へ眼をやった時、蛍火のような一個ひとつの微な微な光を見つけた。
殺神記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
処へ、荷車が一台、前方むこうから押寄せるが如くに動いて、来たのは頬被ほおかぶりをした百姓である。
星あかり (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
今だってちっともこうしていたくはないけれど、こう草臥くたびれては退くにも退かれぬ。少し休息したらまた旧処もとへ戻ろう。幸いと風をうしろにしているから、臭気は前方むこうへ持って行こうというもの。
広巳の感情はたかぶって来たが、それでもその感情の前方むこうには錦絵の女があった。広巳の感情はすぐやわらいだ。広巳は八幡宮の前へ往っていた。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そして、すらすらと石橋を前方むこうへ渡った。それから、森を通る、姿はみどりに青ずむまで、しずかに落着いて見えたけれど、二ツ三ツかさなった不意の出来事に、心の騒いだのは争われない。
伯爵の釵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
広巳は飛びかかって円木棒まるたんぼうった。円木棒は松山の背に当った。松山は前方むこう向けによろよろとなって倒れてしまった。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そして、すら/\と石橋しゃっきょう前方むこうへ渡つた。それから、森を通る、姿はみどりに青ずむまで、しずかに落着いて見えたけれど、ふたかさなつた不意の出来事に、心の騒いだのはあらそはれない。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
摺鉢すりばちの底のような窪地くぼちになった庭の前には薬研やげんのようにえぐれた渓川たにがわが流れて、もう七つさがりのかがやきのないが渓川の前方むこうに在る山をしずかに染めていた。
山寺の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
壑の前方むこうの峰の凹みに陽が落ちかけていた。情熱のなくなったような冷たいその光が微赤うすあか此方こちらの峰の一角を染めて、どこかで老鶯ろうおうの声が聞えていた。
陳宝祠 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
世高は何の目的めあてもなくその街をとぼとぼ歩いていると、前方むこうから一人の老婆が酒壷さけどくりを持ってきたが、擦れ違うひょうしに見るとそれは施十娘であった。
断橋奇聞 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
六七人の人夫の一群が前方むこうから来た。はえ破片かけらを運んでいる人夫であるから、邪魔になってはいけないと思ったので、権兵衛は体を片寄せて往こうとした。
海神に祈る (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「ほんとうは、この前方むこうの山に、お嬢さんの叔母さんになる方が隠れておりますから、そこへ遊びに往きます」
狼の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
どこへ往こうと云うあてもなしに歩いているところである。とにかく入ってみようと思いだした。広巳は前方むこうが知っていて己の知らないと云う女に好奇心を動かした。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
(平兵衛殿には、土州で郡奉行こおりぶぎょうになっておられるが、前方むこう御妻室ごかないを持って、男の子まであります)
水面に浮んだ女 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
旅人は笠をそのままにして、みちへあがって来て勘作に礼を云ってさっさと前方むこうへ往ってしまった。
ある神主の話 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
彼は亥の刻になると外へ出て湖水縁こすいべりみちを歩いた。星の多い夏のであった。と、前方むこうからばたばたと足音をさして走って来る者があった。勘作は星の光にすかして見た。
ある神主の話 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
真澄はコールターで塗った裏門の扉をそっと開けて、前方むこうすかして見たのちに裏門を出て歩いた。
岐阜提灯 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
木客たちは夕飯の後で、例によって露骨な男女の話をしていると、谷をへだてた前方むこうの山から
死んでいた狒狒 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
倉知の家は電車線路の前方むこうになった丘の上にあった。主人は小さな銀行の重役をしていてからそこへ移って来ていたものであった。主人が歿くなったのは五六年前のことであった。
白っぽい洋服 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
河野はそのままぎょうを続けてその日の夕方になったが、水がみたくなったのでたにへおりようと思っておりかけた。二三ちょうばかり往ったところで、前方むこうから不思議な風体ふうていをした男がやって来た。
神仙河野久 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
章は朝食をすますと、往くともなしに前方むこうの山の方へ谷をくだって往った。
狼の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「この、すぐ、前方むこうの谷陰にいる者でございます」
狼の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)