人懐ひとなつ)” の例文
旧字:人懷
が、豪傑肌の父親よりも昔の女流歌人だった母親に近い秀才だった。それは又彼の人懐ひとなつこい目や細っそりしたあごにも明らかだった。
玄鶴山房 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
其処に何とも云われない人懐ひとなつッこい所があって、「人間社会の温か味」と云うようなものを、彼はこう云う時に最も強く感じます。
幇間 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
美しくて健康で、その上「人懐ひとなつかしさ」に燃えているモーツァルトの音楽が、直ちにもって、家庭の音楽であることは言うまでもない。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
だが、それと同時に、はじめて、七年前のあの無邪気な、人懐ひとなつこい妹にめぐり合つた思いで、胸がじいんとするのであつた。
光は影を (新字新仮名) / 岸田国士(著)
それに、この男の巧者なことには、妙に人懐ひとなつこい、女の心をひきつけるやうなところが有つて、正味自分の価値ねうちよりは其を二倍にも三倍にもして見せた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
そのセパードはアムールといってステキに大きい、人懐ひとなつこい犬で、その中でも玲子と、玲子の先生の中林哲五郎には特別によくなついているのであった。
継子 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
そうして操行からいうと、ほとんど野良犬のらいぬえらぶところのないほどに堕落していた。それでも彼らに共通な人懐ひとなつっこい愛情はいつまでも失わずにいた。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
見ると、中年の洋服紳士で、どことなく人懐ひとなつっこい男である。それに中々凝った仕立ての、安くない服を着ている。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
私は殆ど忘れて思い出せなかったが、あの作楽井氏の人懐ひとなつっこい眼元がこの紳士にもあるような気がした。
東海道五十三次 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そのなかに僕は人懐ひとなつこそうな婦人をみつけた。前に一度、僕が兵隊に行くとき駅までやって来て黙ったまま見送ってくれた婦人だった。僕は何となくきつけられていた。
鎮魂歌 (新字新仮名) / 原民喜(著)
只管ひたすら人懐ひとなつかしさに、進んで、喜んで朝から出掛ける……一頃ひところ皆無かいむだつた旅客りょかくが急に立籠たてこんだ時分はもとより、今夜なども落溜おちたまつたやうに方々から吹寄ふきよせる客が十人の上もあらう。
貴婦人 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
ゆえに彼等の認識は、知的に冷徹した認識でなく、感情の温かいもやの中で、いつも人懐ひとなつかしげにかすんでいる。それは主観に融け込んでいる客観であり、知的に分離する事のできないものだ。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
その時僕の主我のつのがぼきり折れてしまって、なんだか人懐ひとなつかしくなって来る。いろいろの古い事や友の上を考えだす。その時油然ゆぜんとして僕の心に浮かんで来るのはすなわちこれらの人々である。
忘れえぬ人々 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
一寸ちょいと見ると何だか土方のような奴で、其奴そいつがこう手を背後うしろへ廻しましてな、お宅の犬の寝ているそばへ寄ってくから、はてな、何をするンだろう、と思って見ていますと、彼様あん人懐ひとなつっこい犬だから
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
お雪は相変らず人懐ひとなつこい言葉づかい。池田は少々恐縮の色で
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
Y君も傍から巨躯きよくゆすつて、人懐ひとなつつこい眼を向け乍ら
良友悪友 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
将軍は今日も上機嫌じょうきげんだった。何か副官の一人と話しながら、時々番付を開いて見ている、——その眼にも始終日光のように、人懐ひとなつこい微笑が浮んでいた。
将軍 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そして又、その人懐ひとなつこい可愛らしい締った唇は、軽い微笑を含んで無言のうちに云っていた。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
人懐ひとなつかしがりのかの女を無条件によろこばせ、その尊厳そんげんか、怜悧れいりか、豪華か、素朴か、誠実か
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「一体、正太さんは人懐ひとなつこい——だからあんなに女から騒がれるんでしょう」
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
切髪の女は二人に近寄って人懐ひとなつこく
譚は老酒ラオチュに赤らんだ顔に人懐ひとなつこい微笑を浮かべたまま、えびを盛り上げた皿越しに突然僕へ声をかけた。
湖南の扇 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
だが、見つめていると、あかい一面の雲のような花の層に柔かい萌黄もえぎいろの桃の木の葉が人懐ひとなつかしく浸潤にじみ出ているのに気を取りされて、蝙蝠傘こうもりがさをすぼめて桃林へ入って行った。
桃のある風景 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「それは偉い軍人だがね、閣下はまた実に長者ちょうじゃらしい、人懐ひとなつこい性格も持っていられた。……」
将軍 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)