下瞼したまぶた)” の例文
朱丸は頑是がんぜない六歳だけに、母の膝によって眠っていたが、濃い睫毛まつげ下瞼したまぶたを蔽うて、どこやらに寂しそうなところがあった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それから主人は鼻の膏を塗抹とまつした指頭しとうを転じてぐいと右眼うがん下瞼したまぶたを裏返して、俗に云うべっかんこうを見事にやって退けた。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
風外は泣き出しさうな使者の顔を面白さうにじつと見入つてゐたが、相手の言葉がちよつと途切れると、いきなり下瞼したまぶたを押へてあかんべいをしてみせた。
茶話:12 初出未詳 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
皮膚には一滴のもなく下瞼したまぶたがブクリとふくれてさがり、大きな眼は乾魚ひもののように光を失っていた。
西湖の屍人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
子供の時に Hydrocephalus ででもあったかというような頭の娘で、髪がや薄く、色があおくて、下瞼したまぶたが紫色を帯びている。性質はごく勝気かちきである。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しかし彼れはその男を見ると虫唾むしずが走った。それも百姓に珍らしい長い顔の男で、禿あがった額から左の半面にかけて火傷やけどの跡がてらてらと光り、下瞼したまぶたが赤くべっかんこをしていた。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
つむった眼の、長い睫毛まつげが、月の光りで下瞼したまぶたに影をおとしている。……うぶ毛の生えた、なめらかな頬、かたちよく波うっている唇、あまり高くはないが、ふっくらとした、可愛い鼻。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
顔はわずかにとのこをつけしのみにて、下瞼したまぶたに墨をうすく入れ、青鬚あおひげあごに画く。
なみだの出るまで真佐子はまれる言葉の棘尖とげさきの苦痛をたましいましているというひとみえ方だった。やがて真佐子の顔の痙攣けいれんはげしくなって月の出のように真珠色しんじゅいろの涙が下瞼したまぶたから湧いた。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そして、しばらくするうちに、薄暗い行燈あんどんかげへ、ソウ……と寄ってくるお綱の姿が、やっと、彼の眸に入ったのであろう、下瞼したまぶたの肉をビクとさせて、ボロボロと涙を流したかと思うと
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
其は一人のばばであった。両の眼の下瞼したまぶたことごとあけりかえって、しいの実程の小さな鼻が右へゆがみなりにくっついて居る。小さな風呂敷包をくびにかけて、草履ぞうりの様になった下駄げたを突かけて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
濃い睫毛まつげくまをつくり、下瞼したまぶたへ墨でも塗ったようであった。左の頬に腫物はれものがあった。腫物の頭は膿を持っていた。火に照らされて果物のように見えた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
色艶いろつやのわるい、むくんだような顔、下瞼したまぶたはだらりとたるみ、不快なへこみができている。そして帽子の下からのぞいている大きな眼だ。その大きな眼が、宮川をじっと見つめていたのである。
脳の中の麗人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
それも丹念に塗りたくって、根気任せにり上げた眼玉ではない。一刷毛ひとはけに輪廓をえがいて、眉とまつげの間に自然の影が出来る。下瞼したまぶた垂味たるみが見える。取る年が集って目尻を引張る波足が浮く。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
眼! そうだ! 眼を見るがいい眼ばかりはカッと見開いていた。永久閉じられない眼であった。下瞼したまぶたがムクレ返り、毛細血管がふくれ上がり、あたかも赤い絹糸のようであった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
閉ざされた眼の下瞼したまぶたの辺に——眼窩が老年で窪んでいるのでかなり濃い陰影がついていて、それが彼の顔を深刻にしていたが、尚その後をうたいつづけようとして、なかば開けた唇を
十二神貝十郎手柄話 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)