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三井寺
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みいでら
ふりがな文庫
“
三井寺
(
みいでら
)” の例文
また、戦国の世にはすべて武人多くして、出家の僧侶にいたるまでも
干戈
(
かんか
)
を事としたるは、
叡山
(
えいざん
)
・
三井寺
(
みいでら
)
等の古史に徴して知るべし。
徳育如何
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
もしそうするなら、京からは
琵琶湖
(
びわこ
)
の
舟楫
(
しゅうしゅう
)
と陸路の便とを兼ね備えた上に、背後の敵の
三井寺
(
みいでら
)
も眼中に入れる要はないのであった——。
比叡
(新字新仮名)
/
横光利一
(著)
頭のいただきから、
山嵐
(
さんらん
)
をゆする
三井寺
(
みいでら
)
の
大梵鐘
(
だいぼんしょう
)
が、ゴウーン……と
余韻
(
よいん
)
を長くひいて湖水のはてへうなりこんでいった。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
院々といふのは
叡山
(
えいざん
)
か
三井寺
(
みいでら
)
かのやうな感じがするけれど、それでは京の月といふのに当てはまらぬ。あるいは
知恩院
(
ちおんいん
)
あたりの景色でもいふのであらうか。
病牀六尺
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
何だか、今夜中に
三井寺
(
みいでら
)
を過ぎて、
滋賀
(
しが
)
の里までは
是
(
ぜ
)
が
非
(
ひ
)
でも
辿
(
たど
)
り着くんだなんて、とても張り切ってたよ。
なよたけ
(新字新仮名)
/
加藤道夫
(著)
▼ もっと見る
それで、もしも映画のトリックによって一人の男が
三井寺
(
みいでら
)
の鐘を引きちぎって軽々と片手でさし上げれば、その男は異常な怪力をもっているように見えるのである。
映画の世界像
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
藤太
(
とうだ
)
は
釣
(
つ
)
り
鐘
(
がね
)
を
三井寺
(
みいでら
)
に
納
(
おさ
)
めて、あとの
二品
(
ふたしな
)
を
家
(
いえ
)
につたえていつまでも
豊
(
ゆた
)
かに
暮
(
く
)
らしました。
田原藤太
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
その他「清経」シテ、「
三井寺
(
みいでら
)
」ツレ等が四五番あったと思うが、ハッキリ記憶しない。
梅津只円翁伝
(新字新仮名)
/
夢野久作
、
杉山萠円
(著)
隅田川・桜川・
柏崎
(
かしわざき
)
・
三井寺
(
みいでら
)
等の十数篇の謡曲を始めとして、近くは駿州の
姥
(
うば
)
ヶ池、
下野足利
(
しもつけあしかが
)
の
水使
(
みずし
)
の淵、または仙台の小鶴が池の伝説の如く、子を失った親の悲しみを取扱った民間の文芸ほど
野草雑記・野鳥雑記:02 野鳥雑記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
三井寺
(
みいでら
)
から迎えられたお坊さんが行き、次に、観音様をせおっている
鞍馬
(
くらま
)
の
夜叉王
(
やしゃおう
)
がつづき、
堅田
(
かただ
)
の顔丸の丸彦がうしろから見はりをし、そのあとに、堅田の顔長の長彦と、坂の上の朝臣がならび
長彦と丸彦
(新字新仮名)
/
豊島与志雄
(著)
「玉藻の
御
(
ご
)
があすは
三井寺
(
みいでら
)
参詣とうけたまわりました」
玉藻の前
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
(延元元年正月、官軍
三井寺
(
みいでら
)
攻めに)
十二支考:03 田原藤太竜宮入りの話
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
さッきから
三井寺
(
みいでら
)
の
丘
(
おか
)
のふもとに立って、かたずをのんで見つめていた
伊那丸
(
いなまる
)
と、
忍剣
(
にんけん
)
、
龍太郎
(
りゅうたろう
)
の三人は、その
巨影
(
きょえい
)
がありありと目前へ近づいたせつなに
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
これを過ぐれば左に
鳰
(
にお
)
の
海
(
うみ
)
蒼くして漣漪水色
縮緬
(
ちりめん
)
を延べたらんごとく、遠山
糢糊
(
もこ
)
として水の果ても見えず。左に近く大津の町つらなりて、
三井寺
(
みいでら
)
木立に見えかくれす。
東上記
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
しかれども
春雨
(
はるさめ
)
に
傘
(
かさ
)
、暮春に女、
卯花
(
うのはな
)
に尼、
五月雨
(
さみだれ
)
に馬、
紅葉
(
もみじ
)
に滝、暮秋に牛、雪に
燈火
(
ともしび
)
、
凩
(
こがらし
)
に
鴉
(
からす
)
、名所には京、
嵯峨
(
さが
)
、
御室
(
おむろ
)
、大原、
比叡
(
ひえい
)
、
三井寺
(
みいでら
)
、瀬田、須磨、奈良、宇津
俳諧大要
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
聞けば、高倉の宮をいただいて、源氏の
老強者
(
ふるつわもの
)
、
三位頼政
(
さんみよりまさ
)
が、渡辺党や、
三井寺
(
みいでら
)
法師の一類をかたらって、一門宇治
平等院
(
びょうどういん
)
にたてこもって、やがて、都押しと聞いた
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
三井寺
(
みいでら
)
や日は午に逼る若
楓
(
かえで
)
俳人蕪村
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
将軍家
義昭
(
よしあき
)
の船も、二十五日、守山から湖水を渡って、
三井寺
(
みいでら
)
の下に着いた。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
およそ戦雲のつばさはどんな
法
(
のり
)
の山だろうが
避
(
よ
)
けてはいない。——つい
嶺
(
みね
)
の南、大津の
三井寺
(
みいでら
)
は、
由来
(
ゆらい
)
、叡山とは何事につけても反目していた。幾世にわたって対峙してきた宗門と宗門だった。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信玄
(
しんげん
)
が
建立
(
こんりゅう
)
した
恵林寺
(
えりんじ
)
のなかに、
武田
(
たけだ
)
の客分、
佐々木承禎
(
ささきじょうてい
)
、
三井寺
(
みいでら
)
の上福院、
大和淡路守
(
やまとあわじのかみ
)
の三人がかくれていることをつきとめたので、使者をたてて、
落人
(
おちゅうど
)
どもをわたせと、いくたびも
談判
(
だんぱん
)
にきた。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
三井寺
(
みいでら
)
は、その山門も坊舎も、聯合軍の
旌旗
(
せいき
)
につつまれていた。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
登れば
逢坂
(
おうさか
)
、西は
三井寺
(
みいでら
)
。また一方の道は
柳
(
やな
)
ヶ
崎
(
さき
)
の浜辺へ出る。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その夜は
三井寺
(
みいでら
)
の
房
(
ぼう
)
に一泊し、あくる日、京都へ向った。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
三
常用漢字
小1
部首:⼀
3画
井
常用漢字
小4
部首:⼆
4画
寺
常用漢字
小2
部首:⼨
6画
“三井寺”で始まる語句
三井寺山