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女流歌人まつ三艸子みさこは長命であったが、その前身は井上文雄の内弟子うちでしめかけで、その後、深川松井町の芸妓小川小三おがわこさんである。
明治大正美人追憶 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
これはまつ三艸子といって、大野定子と並んで歌よみといわれていた人でした。人あたりのよい方で、福羽氏ともお知合だったと見えます。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
行先ゆくさきあんじられて、われにもあらずしよんぼりと、たゝずんではひりもやらぬ、なまめかしい最明寺殿さいみやうじどのを、つてせうれて、舁据かきすゑるやうに圍爐裏ゐろりまへ
雪の翼 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
海岸を東へ往って、野根山のねやまと云う山を越えると阿波あわの国になります。阿波から船で由良ゆらを渡って往きます。
宇賀長者物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
かれその國より上り幸でます時に、龜のに乘りて、釣しつつ打ち羽振り來る人速吸はやすひに遇ひき。
五十いそぢあまりの武士もののべ廿はたちあまりの同じ出立いでたちなる、六八日和にわはかばかりよかりしものを、明石より船もとめなば、この六九朝びらきに七〇牛窓うしまど七一とまりは追ふべき。
その帰途、紅丸が明石のにかかつた時雪が降り出した。よい時によい雪が降り出したものだと歎息したい位だ。もしこの時雪が降らなかつたらこの歌は出来なかつたであらう。
晶子鑑賞 (新字旧仮名) / 平野万里(著)
初名和歌わか鶴彦、後改めて和歌の屋となった先代大倉男は人も知る狂歌の先達、江戸時代から斯道で苦労した本町側の大先輩、その後援もあって大正五年に出来たのが面白会
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
あまざかるひな長路ながぢひ来れば明石あかしより倭島やまとしまゆ 〔巻三・二五五〕 柿本人麿
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
あまさかる ひな長道ながぢゆ れば、明石あかしより、大和やまとしま
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
鉄のの錆びたれば山脈やま青かりき
天の狼 (新字旧仮名) / 富沢赤黄男(著)
わが夢のにさまよひて
独絃哀歌 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
夕月ゆふづきにこそゐよれ。
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
うみ渡る雁金の
花守 (旧字旧仮名) / 横瀬夜雨(著)
舟の中といへば、まつ三艸子みさこといふ歌人が、本所松井町の藝者になつてゐた時分、水戸の天狗黨の人々に、船の中で白刀で圍まれた話は、もう傳説になつて作り話化してきた。
河風 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
掻き彈くや 由良ゆら
あめ御蔭みかげいち
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
歌人まつ三艸子みさこも数奇な運命をもっていた。八十歳近く、半身不随になって、妹の陋屋ろうおくでみまかった。その年まで、不思議と弟子をもっていて人に忘れられなかった女である。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
速吸はやすい
深川の芸者で姉は小川屋の小三こさんといい、または八丁堀櫓下やぐらしたの芸者となり、そのほかさまざまの生活をして、好き自由な日を暮しながら歌人としても相当に認められ、井上文雄いのうえふみおからまつの名を許され
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)