しずま)” の例文
旧字:
ただ難点はあまりにここは理想的でありすぎた。もしこういう場所を占有したなら、周囲から集る羨望せんぼう嫉視しっししずまる時機がないのである。
比叡 (新字新仮名) / 横光利一(著)
寺の内外は水を打ったようにしずまった。箕浦は黒羅紗くろらしゃの羽織に小袴こばかまを着して、切腹の座に着いた。介錯人馬場は三尺隔てて背後に立った。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
お鈴と二人でやっなだめて、房吉から引離して、蚊帳かやのなかへ納められた隠居がしずまってからも、お島はじっとしてもいられなかった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
と、う考えたので、彼は故意ことさらに小さくなって、さながら死せるようにしずまっていた。対手あいて温順おとなしいので、忠一も少しく油断した。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
しかし八月に入って中秋の節には水害の騒ぎも既にしずまったのであろう、湖山枕山の二人は例年の如く墨田川に舟をうかべた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その段を昇り切ると、取着とッつき一室ひとま、新しく建増たてましたと見えて、ふすまがない、白いゆかへ、月影がぱっと射した。両側の部屋は皆陰々いんいんともしを置いて、しずまり返った夜半よなかの事です。
薬草取 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
音もなくしずまり返って、そこからは巨大な黒褐色くろかっしょくの樹幹が、滝をなして地上に降り注ぎ、観兵式の兵列の様に、目もはるかに四方にうち続いて、末は奥知れぬ暗の中に消えていた。
火星の運河 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
会衆の動揺は一時にしずまって座席を持たない平民たちは敷石の上にひざまずいた。開け放した窓からは、柔かい春の光と空気とが流れこんで、壁に垂れ下った旗やながばたを静かになぶった。
クララの出家 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
併し、彼女達を目の前に愛することによって、その開墾地の生活に明るい華やかな生甲斐いきがいを見出していた若者達は、それではしずまらなかった。彼等は開墾地を飛び出して行った。
熊の出る開墾地 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
革命の騒乱すでにしずまりたり。希世の英雄ナポレオン第一世は欧州全土を席巻したり。
近時政論考 (新字新仮名) / 陸羯南(著)
佐保山さおやましずま聖武しょうむ天皇ならびに光明こうみょう皇后の御陵に参拝したのは昨年の秋であった。いまの奈良市の、郊外とってもいい、静かな田野のひらけはじめたところに、この有名な丘陵が横たわっている。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
しずまれ。鎮らぬか」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
深夜眠れぬままにときどきこのように思ったパリーでの瞑想めいそうも、も早や梶から形をとりこわして安らかにしずまって来るのであった。
厨房日記 (新字新仮名) / 横光利一(著)
この茅葺かやぶきは隣に遠い一軒家であった。加之しか空屋あきやと見えて、内は真の闇、しずまり返って物のおとも聞えなかった。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
九時頃に小野田が外から帰って来たとき、おどろかされたお島の心は、まだ全くしずまらずにいた。人品や心の卑しげな川西に、いつでも誰にも動く女のように見られたのが可恥はずかしく腹立しかった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
彼らは小山の頂上で狂乱する鹿の群れのしずまるのを見ると、松明たいまつの持ち手の後から頂きへのぼった。明るく輝き出した頂は、散乱した動かぬ鹿の野原であった。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
酒のよいも醒め、ヒステリー的の発作もようやしずまった今の彼女かれは、所謂いわゆる「狐の落ちた人」のように、従来これまでの自分と現在の自分とは、何だか別人のようにも感じられた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
草叢のあちこちからは酔漢のうめきが漏れていた。そうして、次第に酒宴の騒ぎが宮殿の内外からしずまって来ると、やがて、卑弥呼の膝を枕に転々としていた反絵も眠りに落ちた。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)