生田いくた)” の例文
葦屋あしやの里、雀の松原、布引ぬのびきの滝など御覧ごらうじやらるるも、ふるき御幸ごかうどもおぼし出でらる。生田いくたの森をも、とはで過ぎさせ給ひぬめり。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
午後私は車に乗つて本郷へ行つた。生田いくたさんへ最初に行つたが生田さんはお留守であつた。奥様とお話して一時間程でおいとました。
六日間:(日記) (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
下女は合点の行きし如く「あゝ分りました夫なら生田いくたさんでしょう、生田さんなら久しく此家の旦那と共に職人を仕て居ましたからプラトを ...
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
糸につれて唄いいだす声は、岩間にむせぶ水を抑えて、巧みに流す生田いくた一節ひとふし、客はまたさらに心を動かしてか、煙草をよそに思わずそなたを見上げぬ。
書記官 (新字新仮名) / 川上眉山(著)
搦手からめては大丈夫でございますが、海に向いた生田いくたの森が手薄でございます、早速、明日にも、あれへ柵をおかけになっておいた方が、安心でござります
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
前掲ぜんけいの萩の茶屋に住んでいる老婦人というのは鴫沢しぎさわてるといい生田いくた流の勾当こうとうで晩年の春琴と温井検校に親しく仕えた人であるがこの勾当の話を聞くに
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
生田いくたでございます。は? どちらさまで……え? 警察……(夫の方を振り向き)なんの用でせう……。
秘密の代償 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
そのうちの英国兵の一隊は進んで生田いくたたむろしている備前藩の兵士に戦いをいどんだ。三小隊ばかりの英国兵が市中に木柵もくさくを構えて戦闘準備を整えたのは、その時であった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
琴が、生田いくた流のも山田流のも、幾面も緋毛氈ひもうせんの上にならべてあった。三味線しゃみせんも出ている。
江木欣々女史 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
生田いくた先生はよくそんなやうな事には注意してゐらつしやる方で御座いますね
曼公が周防国すおうのくに岩国いわくにに足を留めていた時、池田嵩山すうざんというものが治痘の法を受けた。嵩山は吉川きっかわ家の医官で、名を正直せいちょくという。先祖せんそ蒲冠者かばのかんじゃ範頼のりよりから出て、世々よよ出雲いずもにおり、生田いくた氏を称した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
武蔵橘樹たちばな生田いくた村大字金程字程田
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
花隈はなくまくまというと、この辺の漁村や町では、こわがられている親分である。もうひとりは生田いくたの万とかいう精猛せいもうなるなまものであった。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
午後生田いくたさんが見えた。煙草たばこのいろいろあるのを私と同じ程面白がつて飲んで下すつた。良人をつとの異父兄の大都城だいとじやうさんがしうさんと一緒に来た。
六日間:(日記) (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
君もご承知の通り、大阪には、浄瑠璃じょうるりと、生田いくた流の箏曲そうきょくと、地唄じうたと、この三つの固有な音楽がある。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
こうしてムクの歩み行く方向を見ると、暗い中でも物を見るに慣らされた眼が、ハッキリと、自分のこしらえた生田いくたの森のへいと、それからき出した逆茂木さかもぎへと続いて行きました。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
時には、遊び人ていの男をじえて、生田いくたあたりの怪しげな女などを連れ、真昼なかを人もなげにふざけちらして歩いたりする。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まんじりともせずに聴いていてくれたのであるおよそかくのごとき逸話いつわは枚挙にいとまなくあえて浄瑠璃の太夫や人形使いに限ったことではない生田いくた流の琴や三味線の伝授においても同様であったそれにこの方の師匠は大概たいがい盲人の検校であったから不具者の常として片意地な人が多く勢い苛酷かこくに走ったかたむきがないでもあるまい。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
この辺の顔役かおやく花隈はなくまくまと、生田いくたまんという親分が、この街道すじの客をあいてに、毎年の例で、野天のてんで餅つきの盆ござ興行をいたすのだ。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「義貞はここの旗本、細屋、大井田、烏山からすやま、羽川、一の井、籠守沢こもりざわなどの手勢すべてをひきつれて、一せいに生田いくた御影みかげあたりまで陣を退く」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
生田いくたの森の戦死者の死骸の中から、三位通盛の死骸を見つけだして、彼の妻の小宰相にわたし、彼が生前の頼みを果してやったという話もある。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
生田いくたの馬場のくらうまも終ったと見えて、群集の藺笠いがさ市女笠いちめがさなどが、流れにまかす花かのように、暮れかかる夕霞ゆうがすみの道を、城下の方へなだれて帰った。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前々回の「大江山待ち」の項で、範頼のりより、義経たちの源氏方は、すでに生田いくたと鵯越えの直前まで迫っている。——で定石じょうせきだと、次回はすぐ鵯越え、一の谷の合戦描写になるわけである。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
範頼の本軍は、行動をべつにとって、一ノ谷の東の城戸きど口、生田いくた方面へ進んでいた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分では健康をそこねているなどと意識しているふうではなく——ただ夜来やらいの風雨には辟易へきえきしたらしく、生田いくたもりに兵馬をさけ、自身も社殿のうちに一夜をしのいだ。そして二十四日の今朝
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)