此辺このへん)” の例文
旧字:此邊
エヘヽヽ此辺このへんでは如何いかゞさまで。書生「ヤーこれいのー幾許いくらぢや、うむそれは安いの、うてかう。銭入ぜにいれからだいはらつて立帰たちかへりました。 ...
世辞屋 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
もし此辺このへんにてこの禁をおかせば、必ず波風大きに起りてあやうきことあり。三味線はねこの皮にて張りたるものなれば、鼠のむ故なりとぞ云々
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
『無い筈はないでせう。もつと此辺このへんでは、戸籍上の名とうちで呼ぶ名と違ふのがありますよ。』と、健はくちを容れた。そして老女としより
足跡 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
すでくらんでたふれさうになると、わざわひ此辺このへん絶頂ぜつちやうであつたとえて、隧道トンネルけたやうにはるかに一りんのかすれたつきおがんだのはひるはやし出口でくちなので。
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
この歌は歌調が読んでいていかにも好く、哀韻さえこもっているので此辺このへんで選ぶとすれば選に入るべきものであろう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
建物の中にとりこめたるは、あらずもがなと思へど、昔のガリラヤ街道も此辺このへんを通りしと云へば、ゐどそのものは昔より云ひ伝へしヤコブの井たることうたがひなし。
昨夜ゆうべ山𤢖に襲われたのは此辺このへんだなどと話していると、行手の木蔭から一人の小作りの男がひらりと飛んで出た。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その出立でたちの時に自分はもう此辺このへんからしみじみ帰りたかつたのだとも哀れに思ひ出される。
帰つてから (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
何時いつも変な建物だと思つて見て通るばかりだと内藤が云ふと、以前まだ此辺このへんが森であつた時分にユウゴオが此処ここに住んで居た。あの家の前にくねつて立つて居る木はユウゴオが手づから植ゑたのだ。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
「もう五年ほど前になりますけれど、上海シャンハイ事変の活動で、爆弾の跡を見ましたけれど、随分おそろしいものですねエ。あんなのが此辺このへんに落ちたら、どうでしょう」あによめの喜代子が、恐怖派に入った。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
此辺このへんでは停車するごとにプラツト・フオオムの売店へ宝石を買ひに降りる女が大勢ある。私もその店へ一度行つて見た。紫水晶の指の触れ心地ごゝちい程の大きさのを幾何いくらかと聞くと五十円だと云つた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
エヽ此辺このへんでは如何いかゞでござります。
世辞屋 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
巴里パリイの道ももう此辺このへんはアスフワルトでもなければ切石きりいしを敷いた道でもない。清水の三年ざか程の勾配をのぼる靴はかなり迷惑な土ぼこりを身体からだに上げる。八月の中頃であるからだ暑さも一通ひととほりではない。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)