時偶ときたま)” の例文
何でも個性を発揮しなければ気が済まないのが椿岳の性分しょうぶんで、時偶ときたま市中の出来合を買って来ても必ず何かしら椿岳流の加工をしたもんだ。
ただ、夫人のある機能が過度に発達しているので、時偶ときたまそういう特性が、有機的な刺戟に遇うと、感覚の上に技巧的な抽象が作られてしまう。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
小供等さへ高い声も立てない。時偶ときたま、胸に錐でも刺された様な赤児あかご悲鳴なきごゑでも聞えると、隣近所では妙に顔を顰める。
赤痢 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「けどね、時偶ときたま一日かうした生活を見ると羨ましいが、ぢきに退屈するよ。退屈なり寂寥を拒ぐための鬪ひだよ!」
滑川畔にて (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
来世では和尚の伝手つてで何処か上等の桟敷でも附込つけこんで置きたいらしく、時偶ときたま和尚が訪ねて来ると、いつもその画を賞めそやして下へも置かぬ款待もてなしをする。
それがこの原因から時偶ときたまにせよ行われるに至った後は、敵の御馳走にされるかもしれぬという蒙昧人の恐怖は、恨や復讐の精神を著しくかき立て、その結果として
その飛沫とばちりが秋子に向けられる。秋子はオド/\して、鷹雄の時偶ときたま話しかける言葉にも返事がしつくりと行かぬやうになる。するとヂリ/\と不機嫌が更にかうじるのだ。
愚かな父 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
妹のお大を臺所働だいどころばたらきやら、子供のもりやら、時偶ときたま代稽古などにも使つて、あごで追𢌞してゐたものが、今では妹の方が強くなり、町内の二三の若者が同情して、後楯うしろだてになつてくれたのを幸ひ
絶望 (旧字旧仮名) / 徳田秋声(著)
時偶ときたま江戸一番の盛り場、東両国に小屋を借りて、一と月でも二た月でも興行するのは、明石一座が有卦に入った時で、今年は不思議に花時から江戸に踏み留まり、東両国で蓋をあけて
私も時偶ときたまそこへ白鷹を飲みに行くが、そののれんを外にくぐり出ると、真向の路地の入口にわが友水守亀之助君経営の人文会出版部の標木が、闇にも白く浮出しているのが眼につくであろう。
早稲田神楽坂 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
どうかすると紅葉や露伴や文壇人の噂をする事も時偶ときたまはあったが、舞台の役者を土間どま桟敷さじきから見物するような心持でいた。
二葉亭追録 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
しかし、その季節以外は時偶ときたまれて、Rim-bo-ch'eリム・ボー・チェ(紅蓮峰)ほか外輪四山の山巓さんてんだけが、ちらっと見えることがある。
人外魔境:03 天母峰 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
子供等さへ高い聲も立てない。時偶ときたま胸に錐でも刺された樣な赤兒の悲鳴でも聞えると、隣近所では妙に顏を顰める。
赤痢 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
政事家が余り喋舌しやべり過ぎて大臣の椅子から滑り落ちるやうに、雷も時偶ときたま図に乗り過ぎて海へ落ちる事がある。
同じ年配の子供達が向うの田圃やかはらで遊んでゐるのを見ると、堪へきれなくなつて涙を流します。時偶ときたま仲間が遣つて來ると小踊して歡び、仲間に歸られてはと、ご飯も食べないのです。
業苦 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
其処そこにそれ、よろしくな、日夜御政道の為に御辛労遊ばす御奉行様へ、時偶ときたまは陽気なところをお目に掛けて、結ぼれたお心をお慰め申すのが、お上への御奉公と申すものだ、さアさア、私が承知だ
礫心中 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
細君はずつと前に死んだやうだが、面白いのはひと息子むすこが広東の学校で修業したばかりに、今では国民革命軍の少壮士官になつてゐるのだ。しかし、時偶ときたま人がこの事を揶揄やゆすると老人の返答がいゝ。
南京六月祭 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
ちっとばかり洋書が読めて多少の新らしい趣味を解し、時偶ときたまは洋服を着る当時の新らしい女で、男とばかり交際していた。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
そういうように、意識が異様に分裂したような状態——それは時偶ときたま、ある種の変質者には現われるものですからね
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
時偶ときたま、雜誌の口繪で縹緻きりやうの好い藝妓の寫眞を見たり、地方新聞で金持の若旦那の艶聞などを讀んだりした時だけは、妙に恁う危險な——實際危險な、例へば
赤痢 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
鉄斎のやうな老人としよりだからといつて、時偶ときたま「真理」を喋舌しやべらない事もないが、今の世の中では口で言つた「真理」は、紙にいた雀一羽程の値段もしないので
千登世は時偶ときたまだしぬけに訊いた。
崖の下 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
奥井から壱岐殿坂へ移って、紳士風が抜けて書生風となってからもやはり相当に見識を取っていて、時偶ときたまさもしい事を口にしても決して行う事はなかった。
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
時偶ときたまその遮断されている神経のみが、他の筋肉からの振動をうけ、実に不思議千万な動作を演ずる事がある。
夢殿殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
時偶ときたま、雑誌の口絵で縹緻きりようの好い芸妓の写真を見たり、地方新聞で富家かねもちの若旦那の艶聞などを読んだりした時だけは、妙にう危険な——実際危険な、例へば
赤痢 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
榎本氏は時偶ときたま二階の窓から掌面てのひらを屋根の上へ突き出して雀を掴まへる事がある。
大杉は時偶ときたま金が手に入るとむやみと自働車を飛ばしたりして不相当な贅沢ぜいたくをするので同志者の反感を買った。
最後の大杉 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
「なるほど——しかし、他人の夢にはおかまいなさらず、御自分の悪夢の方を、おっしゃって下さい。時偶ときたまは、トリエステの血のような夢を御覧になるでしょうな」
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
時偶ときたま近所へ夜話に招ばれる事があれば、役目の説教もする、それが又、奈何でも可いと言つた調子だ。或時、痩馬喰やせばくらふの嬶が、子供が腹を病んでるからと言つて、御供水を貰ひに來た。
赤痢 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
ラフカヂオ・ヘルン又の名小泉八雲氏は時偶ときたま日本服を着る事があつたが、羽織の紋にはヘルンといふ自分の名からもじつて蒼鷺ヘロンをつけてゐた。鷺はヘルン氏の紋として恰好な動物であつた。
と云うのは、十歳の折乳母に死に別れてからは、時偶ときたまこの寮に送られて来る娘はあっても、少し経つと店に突き出されて、仙州せんしゅう誰袖たがそで東路あずまじなどと、名前さえも変ってしまう。
絶景万国博覧会 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
時偶ときたま近所へ夜話に招ばれる事があれば、役目の説教はなしもする。それが又、奈何どうでも可いと言つた調子だ。或時、痩馬喰やせばくらうかかあが、小供が腹を病んでるからと言つて、御供水おそなへみづを貰ひに来た。
赤痢 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
今でも時偶ときたまは残っていて、先年の椿岳展覧会にも二、三点見えたが、椿岳の作では一番感服出来ないものであった。尤もニスを塗った処が椿岳の自慢で、当時はやはり新らしかったのである。
かうしたおびたゞしい男の進物に対して、女史は多くの女と同じやうに何一つ返礼をしなかつた。時偶ときたま片眼を細めて一寸笑つてみせる位が精々だつたが、それがまた男にとつては無上に嬉しかつた。
時偶ときたま母が嫁の話を持出すと、甲田は此世の何処かに「思出の記」の敏子のやうな女がゐさうに思ふ。福富といふ女と結婚の問題とは全く別である。福富は角ばつた顔をした、色の浅黒い女である。
葉書 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
年中変らぬ稗勝ひえがちの飯に粘気がなく、時偶ときたま夜話に来る人でもあれば、母が取あへず米を一掴み程十能でつて、茶代りに出すといふ有様であつたから、私なども、年中つぎだらけな布の股引を穿いて
二筋の血 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
年中變らぬ稗勝ひえがちの飯に粘氣ねばりけがなく、時偶ときたま夜話に來る人でもあれば、母が取あへず米を一掴み程十能でいぶつて、茶代りに出すといふ有樣であつたから、私なども、年中つぎだらけのぬのの股引を穿いて
二筋の血 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
時偶ときたま母が嫁の話を持ち出すと、甲田は此世の何處かに『思出の記』の敏子のやうな女が居さうに思ふ。福富といふ女と結婚の問題とは全く別である。福富は角ばつた顏をした、色の淺黒い女である。
葉書 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)