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懷姙
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くわいにん
付させられ
懷姙し母お三婆の
許へ歸る
砌御手づから御
墨付と御
短刀を
添て下し置れしが御懷姙の
若君は御
誕生の夜
空しく
逝去遊ばせしを
懷姙と
事が
極つたとき、
御米は
此新らしい
經驗に
對して、
恐ろしい
未來と、
嬉しい
未來を
一度に
夢に
見る
樣な
心持を
抱いて
日を
過ごした。
滑稽なのは、
日本の
麻雀道のメツカの
稱ある
鎌倉では
誰でも
奧さんが
懷姙すると、その
檀那樣がきつと
大當りをすると
言ふ。
其の
内に
彼は
娶をとつて
小さな
世帶を
持つて
稼ぐことになつた。
娶は
間もなく
懷姙したが
胎兒は
死んでさうして
腐敗して
出た。
自分も
他人も
瘡ツ
子だといつた。二三
人生れたがどれも
發育しなかつた。
奧方にはあまりふしぎなる夢なれば
迚大納言光貞卿に
告給へば光貞卿
深く
悦びこの度
懷姙の子
男子ならば
器量勝れ世に名を
すると三
度目の
記憶が
來た。
宗助が
東京に
移つて
始ての
年に、
御米は
又懷姙したのである。
其方
懷姙のよし我等
血筋に
相違是なし
若男子出生に於ては
時節を以て
呼出すべし女子たらば其方の
勝手に致すべし
後日證據の爲我等身に
添大切に致候
短刀相添遣はし置者也
依而如件