惻隠そくいん)” の例文
旧字:惻隱
かかる手記を御覧候わば、恵み深き貴下は必ずや惻隠そくいんの情を起こし下さるべしと存候。真の哲学者は常に強き情緒を感ずるものに候えば。
その時の美妙の返事は敗残者の卑下した文体で、勝誇った寵児ちょうじのプライドにちた昔の面影は微塵も見られないで惻隠そくいんに堪えられなかった。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
先生の仁慈じんじ惻隠そくいん、忠義慨然、呂望りょぼうの才をべ子房の大器をほどこすを。備、これを敬うこと神明の如く、これを望むや山斗さんとの如し。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
惻隠そくいんの心はなかったが、女に眼のない大弥太であった、どんな女の乞食がいるのか? こう思って辻堂へ近寄って行った。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しかして寛厚はそうかざるも、其の惻隠そくいんの意に至っては、各条に散見せりと評せしめ、余威は遠く我邦わがくにに及び、徳川期の識者をしてこれを研究せしめ
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ある程度のはばかりもあるが、同時に女性として、包み隠さねばならぬほどの秘密を、かりそめにもあばきうかがうには忍びない、というしおらしい惻隠そくいんもある。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それは誰でもこの不幸な女に惻隠そくいんの情を感じざるを得ないほど、いじらしさ、切なさのこもったものだった。
おずおずその袂をきて、惻隠そくいんこころを動かさむとせり。打俯うちふしたりし婦人おんな蒼白あおじろき顔をわずかにもたげて
取舵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
悲しみ気遣いながら抵抗せず、予のまましたがいしはうたた予をして惻隠そくいんの情に堪えざらしめた。
そんな光景を立ち去らずにあくまで見て胸を痛めているのは、彼には近頃自虐じぎゃくめいた習慣になっていた。惻隠そくいんの情もじかに胸に落ちこむのだ。以前はちらと見て、通り過ぎていた。
馬地獄 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
なおこの乞食にはまさるべし、思えば気の毒の母よ子よと惻隠そくいんの心とどめがたくて、覚えず階上より声をかけつつ、妾には当時大金なりける五十銭紙幣に重錘おもりをつけて投げ与えけるに
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
だけれども、批判は批判として、会場の雰囲気を支配しているのは、マヤコフスキーへの親愛の感情であり、彼の死に対してぼんやり人々の胸の底にわき出ている惻隠そくいんの情だった。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
彼にしてはがらにもなくあの好人物の老大納言に惻隠そくいんの情を催して、これ以上罪を重ねることがいとわしくなったところから、努めて彼女のことを忘れるようにして、遠のいたのであった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
過去の遺物のうちにつなぎ止められてるそのあわれな魂を、彼は痛切に感じた。そして惻隠そくいんの情に打たれた。けれども多少とがめるような荒い口調で、ぼんやりしてる彼女を呼びさまそうとした。
思うに何代目かの管長候補は、二人の青道心が、酔わないうちから女を論じ、酔えば益々女を論じ、徹頭徹尾女を論じて悟らざることおびただしい浅間しさをあわれみ、惻隠そくいんの心を催したのに相違ない。
勉強記 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
惻隠そくいんの心は、どんな人にもあるというじゃありませんか。奥さんを憎まずうらまず呪わず、一生涯、労苦をわかち合って共に暮して行くのが、やっぱり、あなたの本心の理想ではなかったのかしら。
竹青 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「コラッ、貴様ッ、ろくろく働きもせぬくせに、生血いきちのような水をただ飲みしようとは、しからん奴だ」と呶鳴どなり付けたが、考えてみればあれも人の子、咽の渇くのは同じだろうと惻隠そくいんの心も起り
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
そうだ、ともすれば鈍ろうとする復讐の念を強めるためにも、また時あって湧き起こる惻隠そくいんの情を消すためにも……
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
と、どこかでは、彼にも、そんな惻隠そくいんじょうめいたものが、吹きぬけるように、ささやかれていたことかもしれない。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弟の阿利吒は尊げなる僧のゑたる面色おももちして空鉢をささげ還る風情ふぜいを見るより、図らず惻隠そくいんの善心を起し、往時むかし兄をばつれなくせしことをも思ひ浮めて悔いつつ
印度の古話 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
一個の滅びたる人間として惻隠そくいんの情を催してこられたのです。ところで妹さんの心の中に可哀想という気が起こると、もちろん当人にとって何より危険な事なんです。
何物にかすがろうとする信頼心を、むしろ憐れまなくてはならない! という惻隠そくいんを移して、やはり、この金椎少年の祈り、すなわち病気平癒のために支払わんとする代価を
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
マリユスはそのあわれな女を、深い惻隠そくいんの情で見守っていた。
わが敵手もさすがに惻隠そくいんの心を起し給いし様子に御座候。
花吹雪 (新字新仮名) / 太宰治(著)
人々は、彼の落着いた身支度と、枯淡こたんな人がらに固唾かたずをのんで見惚れた。また、子をかばう親心と、君に仕える身の辛さを思いやって、惻隠そくいんの情に打たれた。
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「なまじ小諸の牧野の城で百姓ばらの一揆を見、惻隠そくいんの心を起こしたのが、今日の失脚の原因だったのだ!」
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
身なりと全体の様子で、二人は彼を全くの乞食こじき、街頭における本物の袖乞そでごいと思い込んだらしい。大枚二十カペイカ奮発したのも、あの鞭が女に惻隠そくいんの情を起こさせたからに違いない。
片耳で大男で縹緻きりょうの悪い、鴫丸しぎまるさんという口上いいが、片恋なるものをしていましてね、深夜の京都の町々を『お妻さんお妻さん』と呼び歩きますので、惻隠そくいんの情を起こしましてね
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
と、ほくそ笑みにも、ふと惻隠そくいんを抱く尊氏だった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そぞろ惻隠そくいんの心を起こし抱き上げて見れば枕もとに小さい行李が置いてある。
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
惻隠そくいんの情が起こるのであった。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)