いた)” の例文
旧字:
とある夕ぐれのことであった、情知らぬ獄吏に導かれて村中引きまわしにされた上、この岡の上でいたましい処刑しおきにおうたということ。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
私は心からの涙に浸された先生の死のあとにそれとは相反ないたましい死を迎えるはずであった。しかし先生の死の光景は私を興奮させた。
夏目先生の追憶 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
自分は果してあの母の実子だろうかというような怪しいいたましい考が起って来る。現に自分の気性と母及びいもとの気象とは全然まるでちがっている。
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
今まで道楽であった句選が、このごろ先生の大切な職務の一つとなったのが、いたましいアイロニイのように笹村の目にひらめいた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
三河屋の七十隠居へもらわれていく、そんな暗い悲しいいたましいお艶ちゃんとの別れだから、俺の心は痛み、疼くのだ。
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
あまりのいたましさにしびれてぽかんとなってしまった鼈四郎の脳底に違ったものが映り出した。見よ、そこにうごめくものは、もはやそれは生物ではない。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
いたましく然も偉大なる死! 先生の死は、先生が最後の勝利でした。夫人、あなたは負けました。だからあなたの煩悶はんもんも、御家の沸騰ふっとうも起きたのです。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
それが妙にいたましく見えた。それでもストーブの煙突らしいものはついていて、少しばかり煙が出ていた。
荒野の冬 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
せっかくの自分の書物を見ることができなかったとうのですから、実にいたましい極みでもありました。
ガリレオ・ガリレイ (新字新仮名) / 石原純(著)
もう検屍けんしも済んだと見えて、警察の一行は引挙ひきあげてしまい、ただ五六人の菜ッ葉服が、屍体にかじり付いて泣いている細君らしい女の姿を、いたましそうに覗き込んでいた。
カンカン虫殺人事件 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
単にルイ十五世の孫であったという罪のためにタンブル城の塔内で死に処せられたルイ十五世の罪なき孫ルイ十七世に比して、同じくいたましいものであったのです。
葉子が前後を忘れわれを忘れて、魂をしぼり出すようにこううめく悲しげな叫び声は、大雨のあとの晴れやかな夏の朝の空気をかき乱して、いたましく聞こえ続けた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
そして明け暮れ、己れの手足ばかりを眺めながら、いたましい絶望の中で生き続けていたのである。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
それが彼の醜悪しゅうあく屈辱くつじょくの過去の記憶を、浄化じょうかするであろうと、彼は信じたのであった。彼は自分のことを、「空想と現実とのいたましき戦いをたたかう勇士ではあるまいか」
贋物 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
幽霊のやうに細く白き手を二つ重ねて枕のもとに投出なげいだし、浴衣ゆかたの胸少しあらはに成りて締めたる緋ぢりめんの帯あげの解けて帯より落かかるもなまめかしからでいたましのさまなり。
うつせみ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
工場労働の現状のいたましさは私も知っています。しかし今日の制度の中においてすら、次第に或程度まで改善されて行く見込があります。現状のみを見て未来を決定してはなりません。
さしも満開を誇つた諸所の桜花さくらも、いたましく散りつくしてしまつたろうと思われる四月なかばごろのある午後、私は勤先の雑誌社を要領よく早く切り上げて、銀座をブラブラと歩いていた。
殺人鬼 (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
何だか勇ましいようないたましいような一種の気分が、盲目もうもくの景清の強い言葉遣ことばづかいから、また遥々はるばる父を尋ねに日向ひゅうがまでくだる娘の態度から、涙に化して自分の眼を輝かせた場合が、一二度あった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
このいたましい死体を見ると、顔をどこかへかくそうとするような様子をして、しばらく眼をとじた、けれども彼はどうしてもあの若い嫁さんの死体を見なければならないような気がしたので
惨事のあと (新字新仮名) / 素木しづ(著)
代々の血染ちそめのその歴史、あないたましき
小曲二十篇 (新字旧仮名) / 漢那浪笛(著)
いたましい陣痛をなめている——
先駆者 (新字新仮名) / 中山啓(著)
それで話が女の体の異常なことにまで及ぶと、そんなことを案外平気で打ち明けられるのが、不思議なようでもあり、いたましい恥辱のようでもあった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
私は小さき胸にはりさけるような悲哀かなしみを押しかくして、ひそかに薄命な母をいたんだ、私は今茲ことし十八歳だけれども、私の顔を見た者は誰でも二十五六歳だろうという。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
然し其悲鳴して他の雄犬を追かける声は、世にも情無なさけなげな、苦痛其ものゝ声である。弱い者素より苦み、強い者がまた苦む。生物せいぶつは皆苦む。思うにいたましく、見るに浅ましい。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
日本の河川は今日いたましい姿になっている。洪水の時や雪解け増水の時に、堤防の上に立って流れ去る水をみていると、あの中に、ありありと亡び行く国土の姿をみることが出来る。
亡び行く国土 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
そういう確信は盲者にして初めて有し得る。いたましき盲目のうちにおいては、世話を受くるはすなわち愛撫あいぶを受くることにほかならない。彼にはその他に何かが不足するであろうか。いや。
手にもハンケチがいたましくふるえているのがすぐ判る。
殺人鬼 (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
地の上、何んとてしかくいたましきかな。
小曲二十篇 (新字旧仮名) / 漢那浪笛(著)
初めていたましい診断を受けたおりの先生に対した時の絶望の心持は、二人の胸に少しずつやされていた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ただ私は先生のあのいたましい死を余儀なくした其事情を思うに忍びず、また先生の墓上ぼじょうなみだいまだ乾かざるに家族の方々が斯く喧嘩けんかさるゝを見るに忍びなかったのであります。然し我々は人間です。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
私はあまりのいたましさに、ポケットから白銅を取り出してくれてやると少年は無造作に受け取って「ありがとう」と言い放つとそのまま雨を衝いて長峰のおでん屋の方に駆けて行ってしまった。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
いたましき綾をしるして
小曲二十篇 (新字旧仮名) / 漢那浪笛(著)