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太守
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たいしゅ
ふりがな文庫
“
太守
(
たいしゅ
)” の例文
と——一緒に、あの時、かれは
太守
(
たいしゅ
)
阿波守からいいつけられて、このつるぎ山の間者牢へ、俵一八郎と妹のお鈴を護送してきている。
鳴門秘帖:03 木曾の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
秀秋は裏切り者として名高くなったが、その功によって徳川家からは疎略にあつかわれず、筑前から更に中国に
移封
(
いほう
)
して、
備前
(
びぜん
)
美作
(
みまさか
)
五十万石の
太守
(
たいしゅ
)
となった。
馬妖記
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
そのあとへは
香港
(
ホンコン
)
の
太守
(
たいしゅ
)
、その次へは米国前大統領グラント将軍という順に、国賓たちを迎えた。
朱絃舎浜子
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
数年後、今一度李陵は
北海
(
ほっかい
)
のほとりの丸木
小舎
(
ごや
)
を
訪
(
たず
)
ねた。そのとき途中で
雲中
(
うんちゅう
)
の北方を
戍
(
まも
)
る
衛兵
(
えいへい
)
らに会い、彼らの口から、近ごろ漢の辺境では
太守
(
たいしゅ
)
以下
吏民
(
りみん
)
が皆白服をつけていることを聞いた。
李陵
(新字新仮名)
/
中島敦
(著)
「そうだ、君がたが、こぞって官界へ出て行けば、きっと
刺史
(
しし
)
(州の知事)か
郡守
(
ぐんしゅ
)
(郡の長官、即ち
太守
(
たいしゅ
)
)ぐらいには登れるだろう」
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
陳は後に
予章
(
よしょう
)
の
太守
(
たいしゅ
)
に栄進して、久しぶりで黄家をたずねた時、まずかの子供のことを訊くと、かれは鑿に打たれたというのである。それを聞いて、陳は嘆息した。
中国怪奇小説集:03 捜神記(六朝)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
太守
(
たいしゅ
)
劉焉
(
りゅうえん
)
、遂に、子民の
泣哭
(
きゅうこく
)
に奮って討伐の天鼓を鳴らさんとす。故に、隠れたる
草廬
(
そうろ
)
の君子、野に
潜
(
ひそ
)
むの義人、旗下に参ぜよ。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
伝え聞く、伊達政宗は松島の風景を愛賞して、船遊びのために二
艘
(
そう
)
の
御座船
(
ござぶね
)
を造らせた。鳳凰丸と孔雀丸とが
即
(
すなわ
)
ちそれである。風流の仙台
太守
(
たいしゅ
)
は更に二十余章の舟唄を作らせた。
綺堂むかし語り
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
一城の主たるよりは、一国の君となれ、一国の君たるよりは、十州の
太守
(
たいしゅ
)
となれ、十州の太守たるよりは、天下の支配者となれ。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
大葬の日には、近郷近郡の諸寺院から、たくさんな僧侶をよび、そのさかんなことは、一国の
太守
(
たいしゅ
)
の
弔
(
とむら
)
いも及ばない程だった。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「ひとつ、
太守
(
たいしゅ
)
からのお見舞をおつかわしになってみては。……さすれば仮病かほんものかは、明白ではございませぬか」
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「——
西涼
(
せいりょう
)
の
太守
(
たいしゅ
)
馬騰
(
ばとう
)
様が、本国へお帰りになるとかで、おわかれの挨拶にと、お越しになりましたが」と、告げてきた。
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
太守
(
たいしゅ
)
自身が案内に立つ。老公はうなずいてそのあとに
従
(
つ
)
いてゆく。儀礼の上では君臣でも、情においてはやはり
父子
(
おやこ
)
であった。その
睦
(
むつま
)
じさはつつみきれない。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
拝して、一言のお答えも、それにはございませぬ。ただ、はらはらと落涙なされて……世にも
御不愍
(
ごふびん
)
な
太守
(
たいしゅ
)
ではある——と
溜息
(
ためいき
)
をもらされたきりでござりました
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ここに、徐州の
太守
(
たいしゅ
)
陶謙
(
とうけん
)
はまた、誰に我がこの国を譲って死ぬべきや——を、日ごと、病床で考えていた。
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
太守
(
たいしゅ
)
劉焉
(
りゅうえん
)
の領内で、
校尉
(
こうい
)
鄒靖
(
すうせい
)
という代官が役所をおいて支配していたが、なにぶん、近年の物情騒然たる
黄匪
(
こうひ
)
の
跳梁
(
ちょうりょう
)
に
脅
(
おびや
)
かされているので、楼桑村も例にもれず
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
かねて
董承
(
とうじょう
)
に一味して、義盟に名をつらねていた
西涼
(
せいりょう
)
の
太守
(
たいしゅ
)
馬騰
(
ばとう
)
も、玄徳が都を脱出してしまったので
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
元康自身よりも、その間の
忍苦辛酸
(
にんくしんさん
)
を忘れられない三河譜代の老臣たちは、万感こもごも胸にせまって、ひそかに
瞼
(
まぶた
)
を熱くしながら、若い両
太守
(
たいしゅ
)
の
交歓
(
こうかん
)
をながめていた。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
太守
(
たいしゅ
)
の寝室へかけこんでみた時には、誰よりも早かった竹屋三位が、重喜を抱きとめながら、声に力をこめて何か叫んでいたが、重喜はまだ落ちつかない
眸
(
ひとみ
)
を光らして
鳴門秘帖:04 船路の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
山陽
鉅鹿
(
きょろく
)
の人で
李典
(
りてん
)
、
字
(
あざな
)
は
曼成
(
まんせい
)
という者だの——徐州の
刺史
(
しし
)
陶謙
(
とうけん
)
だの——
西涼
(
せいりょう
)
の
太守
(
たいしゅ
)
馬騰
(
ばとう
)
だの、
北平
(
ほくへい
)
太守の
公孫瓚
(
こうそんさん
)
だの——北海の太守
孔融
(
こうゆう
)
なんどという大物が、おのおの何千
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
春日山
(
かすがやま
)
の
太守
(
たいしゅ
)
景勝様には、当城に御在陣ときき、主人羽柴筑前守様にも、
千載
(
せんざい
)
の好機なれ、ぜひとも、
一夕
(
いっせき
)
お会い申したいと、
陣旅
(
じんりょ
)
の
寸暇
(
すんか
)
をさいて、富山よりこれへ参ってござる。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その
密々
(
みつみつ
)
な運動のために、過日来、若狭からこの金ヶ崎城下へ来て、幾たびとなく、
太守
(
たいしゅ
)
の
義景
(
よしかげ
)
にもまみえ、藩老の私邸へも訪れ、ほとんど、寝食も忘るるばかり、その成功に努めていた。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それは
太守
(
たいしゅ
)
も、
刈屋頼母
(
かりやたのも
)
も、まったく望みを絶っていた、
増長天王
(
ぞうちょうてんのう
)
の
陶器像
(
すえものぞう
)
。しかも一点の
瑕
(
きず
)
なく
彫琢
(
ちょうたく
)
の
巧緻
(
こうち
)
染付
(
そめつけ
)
の
豪華
(
ごうか
)
絢麗
(
けんれい
)
なこと、
大川内
(
おおかわち
)
の山、開いてこの
方
(
かた
)
、かつて見ない
色鍋島
(
いろなべしま
)
の神品。
増長天王
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
太守
(
たいしゅ
)
を始め、御着一城の衆が悉く、毛利方に傾けば、姫路にある私の妻子老父はすべて即座に殺されるに
極
(
きま
)
っておりますから。……しかしです。官兵衛の心事はこの
碧空
(
あおぞら
)
のごとく公明正大です。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
太守
(
たいしゅ
)
劉延
(
りゅうえん
)
は、弓槍の隊伍をつらねて、彼を街上に迎えて、試問した。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
尠なくも、われに次ぐ
栄爵
(
えいしゃく
)
と数ヵ国の
太守
(
たいしゅ
)
はお
汝
(
こと
)
にも約されておる
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「孫堅。——ああ、長沙の
太守
(
たいしゅ
)
だな。あれは
戦
(
いくさ
)
は上手かな?」
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
待つよりは、このこと、わしから
太守
(
たいしゅ
)
へ御報告に出かけよう
鳴門秘帖:06 鳴門の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この暗愚な
太守
(
たいしゅ
)
、油断はできない、と思いながら
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「まず、
太守
(
たいしゅ
)
さまから」
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いや、
太守
(
たいしゅ
)
」
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
太守
(
たいしゅ
)
。……」
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「——
太守
(
たいしゅ
)
」
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“太守”の解説
太守(たいしゅ)は、中国においては郡の長官のことで、単に守とも呼ばれた。尊称として「明府」または「府君」と呼ばれる。秦代に置かれた郡守を改称したもので、前漢中期から南北朝時代の隋に置かれた。唐代の後期から五代になると太守の称号は使われなくなり、のち宋朝の知府事、明朝、清朝の知府の別称として用いられた。
転じて以下のように用いられている。
(出典:Wikipedia)
太
常用漢字
小2
部首:⼤
4画
守
常用漢字
小3
部首:⼧
6画
“太守”で始まる語句
太守樣
太守面
太守牌印
太守肥前守