天正てんしょう)” の例文
天正てんしょう慶長けいちょうのころに少しく学問のあるものがこれを見いだして、その紙を自分の考えによって整理し、それを写したと仮定すれば
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
ただ、もし元亀げんき天正てんしょうの頃の日本人に見せたら、この老神父もまた、定めしかのウルガン伴天連の如く見えたことだらうと思ふわけである。
ハビアン説法 (新字旧仮名) / 神西清(著)
それは、元亀げんき天正てんしょう時代に、豊臣秀吉を筆頭として、かず多くの大人物を出した日本としては、なんら、めずらしい事実ではなかったのである。
十世証如しょうにょのころは戦国時代ではあり、一向一揆いっこういっきは諸国に勃発ぼっぱつし、十一世顕如けんにょに及んで、織田信長と天正てんしょうの石山合戦がある。
九条武子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
天正てんしょう十年三月における、武田と織田との合戦で、勝頼は散々に敗北した。で止むを得ずわずかの部下と共に天目山へ立籠った。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
彼らの結束と抗戦を強めたのみで退陣した元亀元年から——顧みると今年天正てんしょう八年まで——ちょうど足かけ十一年になる。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元亀げんき天正てんしょうの頃からの由緒ある職制だし、一つには藩主の意見で、「悪童的存在も武家気風の支柱として有るほうがよい」
評釈勘忍記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
万福寺殿昌屋常久禅定門まんぷくじでんしょうおくじょうきゅうぜんじょうもん、俗名青山次郎左衛門、隠居しての名を道斎どうさいと呼んだ人が、自分で建立した寺の墓地に眠ったのは、天正てんしょう十二年の昔にあたる。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
徳川氏の天下は元亀げんき天正てんしょうの胎内より出で来たりたるものなり。その多事の日において慣例格式たることは無事の日にもまた慣例格式となるものなり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
鷲津次郎長世よりおよそ十三世を経て、鷲津九蔵宗範きゅうぞうむねのりなるものが天正てんしょう十三年八月越中えっちゅうの国の合戦に前田利家まえだとしいえに従い深手をこうむり、後に志津ヶ岳しずがたけの戦に手柄をなした。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
あれは天正てんしょう十一年に浜松はままつ逐電ちくてんした時二十三さいであったから、今年は四十七になっておる。太いやつ、ようも朝鮮人になりすましおった。あれは佐橋甚五郎さはしじんごろうじゃぞ
佐橋甚五郎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ここの町よりただ荒川一条ひとすじへだてたる鉢形村といえるは、むかしの鉢形の城のありたるところにて、城は天正てんしょうの頃、北条氏政ほうじょううじまさの弟安房守あわのかみ氏邦の守りたるところなれば
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
今日まで知られているものでは、おそらく天正てんしょうの銘記のあるのが一番古いであろうか。少しでも不敬なことをすればそのたたりは覿面てきめんで激しいという。だから誰も恐れうやまっている。
陸中雑記 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
いずれにしても、昔のかたき討は一種の暗殺か、あるいは吊合戦とむらいがっせんといったようなもので、それがいわゆる「かたき討」の形式となって現れて来たのは、元亀げんき天正てんしょう以後のことであるらしい。
かたき討雑感 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
くりくり坊主の桃川如燕ももかわじょえんが張り扇で元亀げんき天正てんしょうの武将の勇姿をたたき出している間に、手ぬぐい浴衣ゆかたに三尺帯の遊び人が肱枕ひじまくらで寝そべって、小さな桶形おけがたの容器の中からすしをつまんでいたりした。
銀座アルプス (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
我らのご先祖宗介むねすけ様が正親町おおぎまち天皇天正てんしょう年間に生きながら魔界の天狗となりこの八ヶ嶽へ上られてからはあらゆる下界の人間に対して災難をお下しなされたのだ。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
天正てんしょう十年、秀吉が中国の高松城を水攻めにした折も、孤城五千の部下の生命いのちに代って、濁水だくすいの湖心に一舟いっしゅううかべ、両軍の見まもる中で切腹した清水長左衛門宗治むねはる
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天正てんしょう二年の冬からとなりの国と戦争をしているので、この肥前ひぜん(長崎県)大村城のるすをまもるものたちは、鎧甲よろいかぶとのつくろいをしたり、武者草鞋わらじや弓矢をこしらえたり
伝四郎兄妹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
すべて古式古風な散官遊職は続々廃止されて、西洋陸軍の制度に旗本の士を改造する方針が立てられた。もはや旗本の士は殿様の威儀を捨てて単騎独歩する元亀げんき天正てんしょうの昔に帰った。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
さてその縁故をもって赤松左兵衛督あかまつさひょうえのかみ殿に仕え、天正てんしょう九年千石を給わり候。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
かの元亀げんき天正てんしょうの時代には長曽我部氏ちょうそかべしがほとんど四国の大部分を占領していて、天正十三年、羽柴秀吉の四国攻めの当時には、長曽我部の老臣細川源左衛門尉というのが讃岐方面を踏みしたがえて
こま犬 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
苛烈かれつなる永禄えいろく元亀げんき天正てんしょうの世にかけて、彼女も良人に遅れぬものを日々に学んでいたのである。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
美濃みのの国岐阜の城下に瑞龍寺ずいりゅうじという寺がある。永禄えいろく天正てんしょうのころに南化和尚なんかおしょうという偉い僧がいて、戦国の世にもかかわらず、常に諸国から文人や画家の集まって来るものが絶えなかった。
蒲生鶴千代 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
その古さから言えば永禄えいろく天正てんしょう年代からの長い伝統と正しい系図とが残っていて、馬籠旧本陣と言えば美濃路にまで聞こえた家に、もはやささえきれないほどの強いあらしの襲って来たことが
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
天正てんしょう十年の春も早くから、木曾口きそぐち信濃口しなのぐち駿河口するがぐちの八ぽうから、甲斐かい盆地ぼんちへさかおとしに攻めこんだ織田おだ徳川とくがわ連合軍れんごうぐんは、野火のびのようないきおいで、武田勝頼たけだかつより父子、典厩信豊てんきゅうのぶとよ、その他の一族を
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくてさらに半年あまり、天正てんしょう十年六月の初めとなった。
だんまり伝九 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
むかしにも紫式部むらさきしきぶ清少納言せいしょうなごんなどという才媛さいえんがあった。いまの世からも、女性の偉いものが出て欲しい。そもじは天正てんしょうの紫式部になれ、今の世の清少納言になってみい。そうはげましてくださいました
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さてと、ことしは天正てんしょう十年、もう十二月だな……」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それが、天正てんしょう十一年、三月上じゅんのことである。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天正てんしょう十年六月二日であった。