夕凪ゆうなぎ)” の例文
夕凪ゆうなぎは郷里高知の名物の一つである。しかしこの名物は実は他国にも方々にあって、特に瀬戸内海沿岸にこれが著しいようである。
夕凪と夕風 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「すこし浜を徒歩ひろってみたい。土用のような猛暑だが、この夕凪ゆうなぎの一ときで、あとは晩の涼風になろう。なにせい、やりきれん」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
忽ち人は注目して、自然にお綾を取囲むので、さなきだに備前の夕凪ゆうなぎ。その暑苦しさにお綾は恐れをなして、急いで吾家へ逃げ込もうとした。
備前天一坊 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
伊勢の海は静かな海で、ことにこれより北へかけての阿漕ヶ浦は、その夕凪ゆうなぎ朝凪あさなぎとで名を得た海であります。
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
風塵ようやく収まって世界は今や夕凪ゆうなぎの寂静に帰ったが、この平和を間歇かんけつ的のものたらしめず永久に確保し行かんと欲する事が、この五年間戦雲にとざされた後に
永久平和の先決問題 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
其の晩は夕凪ゆうなぎで風がすこしもなかったので、寝苦しくておちおち眠れなかったが、室津を引きあげる事になっているので、努めて起きて朝食を食うなり出発した。
海神に祈る (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
夕凪ゆうなぎ海面うみづらをわたりてこの声の脈ゆるやかに波紋を描きつつ消えゆくとぞみえし。波紋はなぎさを打てり。山彦やまびこはかすかにこたえせり。翁は久しくこの応えをきかざりき。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
夕凪ゆうなぎの日には、日が暮れてから暑くて内にいにくい。さすがの石田も湯帷子ゆかた着更きかえてぶらぶらと出掛ける。初のうちは小倉こくらの町を知ろうと思って、ぐるぐる廻った。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
ちょうど夕凪ゆうなぎの時刻なので風がぱったり死んでいるのが、暑いことは暑いけれども、静止している樹々の色合がひとしおあざやかで、芝生の緑が眼にみ入るようである。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
すなはち長崎の夕凪ゆうなぎとかとなへて、烈しい炎暑の一日いちじつあと、入日と共に空気は死するが如くに沈静し、木葉このは一枚動かぬやうな森閑とした黄昏たそがれ、自分は海岸から堀割をつたはつて
海洋の旅 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
しかしいよいよ文農の競漕が初まろうというころになったら、珍らしい夕凪ゆうなぎが来た。
競漕 (新字新仮名) / 久米正雄(著)
日中ひなか硝子ビイドロを焼くが如く、かっと晴れて照着てりつける、が、夕凪ゆうなぎとともにどんよりと、水も空も疲れたように、ぐったりと雲がだらけて、煤色すすいろの飴の如く粘々ねばねば掻曇かきくもって、日が暮れると墨を流し
浮舟 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
夕凪ゆうなぎというのだろう、風が死んだようにおちて、風呂できれいにながした汗が、座敷へ戻るとすぐにまたにじみ出てきた。酒肴しゅこうを運んで来たのは、軒行燈に火を入れていた若い女中であった。
扇野 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そのさまは、例えば夕凪ゆうなぎの海に踊る人魚のようにも見えたであろうか。
火星の運河 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そして夏ならば、昼間は海の方から陸に向って、涼しい風が吹き、朝と夕方には風のない朝凪あさなぎ夕凪ゆうなぎがあって、夜と共に陸から海へ向って風が吹くのが普通であるのに、決してそういう現象が見えない。
地球盗難 (新字新仮名) / 海野十三(著)
風が落ち、蒸しあげるような夕凪ゆうなぎになった。
あなたも私も (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
大阪から京へのぼる三十石船は、夕凪ゆうなぎの明るい川波をって、守口の船着きへ寄っている。ほかの旅客にまじって、潮田、小野寺、武林の三名も、乗りこんだ。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夕方この地方には名物の夕凪ゆうなぎの時刻に門内の広い空地の真中へ縁台のようなものを据えてそこで夕飯を食った。
海水浴 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
夕凪ゆうなぎ朝凪あさなぎに名を得た静かな伊勢の海、遠く潮鳴りの音がして、その間を千鳥が鳴いて通った時、浜辺と海がぼうっと明るくなったように覚えている。多分、あの時に月がのぼったのだろう。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
夕凪ゆうなぎの暑さにかかわらず、日はいつか驚くばかり短くなっているのである。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
暮方くれがた、またひったりと蒸伏むしふせる夕凪ゆうなぎになりました。
甲乙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
塩田えんでんの煙が幾すじも真っ直ぐにたち昇っていた。陽ざかりはやや過ぎたが、港の町飾磨しかまは、これから日没までの夕凪ゆうなぎが一日中でいちばん暑いといわれている。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いつもならば夕凪ゆうなぎの蒸暑く重苦しい時刻であるが、今夜は妙に湿っぽい冷たい風が、一しきり二しきり堤下の桑畑から渦巻うずまいては、暗い床の間の掛物をあおる。
(新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
夕凪ゆうなぎの暑さに加えて、ここの蚊うなりは猛々しい。侍臣のすすめに、正成も上をぬいで、後ろにおいた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夕凪ゆうなぎのむし暑いほとぼりが冷め切れないうちにも、夏の夜の灯がそよぎ立って、人影の流れの中に、尺八が聞え、虫籠の虫の音が聞え、座頭の節をつけたわめきだの、西瓜売りやすし売りの呼び声や、また
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)