づき)” の例文
宮野邊源次郎と云って旗下はたもとの次男だが、其奴そいつが悪人で、萩原新三郎さんを恋慕こいしたった娘の親御おやご飯島平左衞門という旗下の奥様づきで来た女中で
王室づき俳優の部屋が左右に設けられ、右手にモリエエル夫婦の部屋と先妻マドレエヌの部屋とが並び、扉には各俳優の名が白墨チヨオクで記されて居る。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
弘前ひろさきの城主津軽順承つがるゆきつぐ定府じょうふの医官で、当時近習詰きんじゅづめになっていた。しかし隠居づきにせられて、おも柳島やなぎしまにあった信順のぶゆきやかたへ出仕することになっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そうした頼朝のそぶりに気のいたのは政子であった。政子は頼朝づき侍女こしもとの一人を呼んで詮議せんぎした。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
佛蘭西フランス豫備海軍士官よびかいぐんしくわんとかへるすさまじくはやをとこだいちやく勤務きんむのためわが日本につぽんむかはんとてこのふね乘組のりくんだ伊太利イタリー公使館こうしくわんづき武官ぶくわん海軍士官かいぐんしくわんわたくしからうじてだいちやく、あまり面白おもしろくないので
船の中で部屋づきのボオイや給仕女に物を云ふ以外に会話らしい会話もせず三十八日居た自分は当分普通の話にも間の抜けた事を云ふのであらうとこれなども味気あぢきなく鏡子には思はれるのであつた。
帰つてから (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
大英国はうらやむべき国よなどひそかに思ひ申しさふらふ。この甲板かふばん藁蒲団わらぶとん敷き詰めて角力すまふの催しなどもありしよしにさふらふ。私の室づきの山中は五人抜きの勝利を得しよしさふらふ
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
抽斎はこれから隠居信順づきにせられて、平日は柳島のやかたに勤仕し、ただ折々上屋敷に伺候した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
其の奥様づきで牛込の方へ行ったとばかりであとは手紙一本も寄越さぬくらい、実にひどい奴で、夫五兵衞が亡くなった時も訃音しらせを出したに帰りもせず、返事もよこさぬ不孝もの
氏は五十歳を幾つも越えないであらう。肉づきの締つた、ほそやかな、背丈の高い体に瀟洒せうしやとした紺の背広を着て、調子の低いさうして脆相もろさうな程美しい言葉で愛想あいそよく語つた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
一体いつたい東のお奉行所づきのものの書付かきつけなら、なぜそれを西のお奉行所へ持つて来たのだい。」
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
五百はすぐに中臈ちゅうろうにせられて、殿様づきさだまり、同時に奥方祐筆ゆうひつを兼ねた。殿様は伊勢国安濃郡あのごおり津の城主、三十二万三千九百五十石の藤堂和泉守いずみのかみ高猷たかゆきである。官位はじゅ四位侍従になっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)