羽左衛門うざえもん)” の例文
▲話は一向いっこうまとまらないが堪忍かんにんして下さい。御承知のとおり、私共は団蔵だんぞうさんをあたまに、高麗蔵こまぞうさんや市村いちむら羽左衛門うざえもん)と東京座で『四谷怪談』をいたします。
薄どろどろ (新字新仮名) / 尾上梅幸(著)
私は5+5を羽左衛門うざえもんがやると100となったり、延若えんじゃくがやると55となったり、天勝てんかつがやると消えせたりするような事をおおいに面白がる性分しょうぶんなのである。
楢重雑筆 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
羽左衛門うざえもん梅幸ばいこう襲名披露しゅうめいひろうで、こんどの羽左衛門は、前の羽左衛門よりも、もっと男振りがよくって、すっきりして、可愛くって、そうして、声がよくって
フォスフォレッスセンス (新字新仮名) / 太宰治(著)
いずれも編笠あみがさふかかおかくしたまま、をしばたたくのみで、たがいに一ごんはっしなかったが、きゅうなにおもいだしたのであろう。羽左衛門うざえもんは、さびしくまゆをひそめた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
長唄の紅勘とは別の男ですが、五代目菊五郎がまだ羽左衛門うざえもんで売り出しの時、鎌倉節仙太郎かまくらぶしせんたろうという者が、江戸市中を鉦三味線で、好い声であめを売りながら流して歩いて評判でした。
その春興行には五世菊五郎きくごろうが出勤する筈であったが、病気で急に欠勤することになって、一座は芝翫しかん(後の歌右衛門うたえもん)、梅幸ばいこう八百蔵やおぞう(後の中車ちゅうしゃ)、松助まつすけ家橘かきつ(後の羽左衛門うざえもん
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
東京の羽左衛門うざえもんという千両役者であるとか、新橋の洗い髪のお妻とか、ぽん太とかいう名妓であるとか、やれ大臣だとか何だとかいう種類の人々の俥や馬車がよくそこの門に着いていた。
吉右衛門きちえもん菊五郎きくごろうはどうも歌舞伎のオオソドックスに忠実だとはおもえません。まア羽左衛門うざえもんあたりの生世話きぜわの風格ぐらいが——」などにもつかぬ気障きざっぽいことを言っていると、突然とつぜん
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
羽左衛門うざえもんさんのところと、梅幸ばいこうさんのところと、それから六代目さん。六代目さいわいちょうさんは附属なんですね。そりゃ火鉢だってなんだって、こしらえておあげになるのです。たいした檀那だんなでございますよ」
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
「はいはい」と羽左衛門うざえもんおおきくうなずいた。「如何いかにももっともでございます。——では、ここはおかみさんにおねがもうして、つぎさがっていることにいたしましょう」
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
いわく、死亡広告である。羽左衛門うざえもんが疎開先で死んだという小さい記事は嘘でなかった。
十五年間 (新字新仮名) / 太宰治(著)
丹波篠山たんばささやま生れの鴈治郎がんじろうと熊本県人の羽左衛門うざえもんもまた、もっさりした種類と見ていい。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
いまの市村羽左衛門うざえもんはそのころ市村家橘かきつといっていたのであるが、その年の秋興行から十五代目羽左衛門を相続することになったので、その披露のために各新聞社の劇評記者を大森の松浅まつあさに招いた。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ってのとおりこの狂言きょうげんは、三五ろうさんの頼朝よりともに、羽左衛門うざえもんさんの梶原かじわら、それに太夫たゆう鷺娘さぎむすめるという、豊前ぶぜんさんの浄瑠璃じょうるりとしっくりった、今度こんど芝居しばいものだろうじゃねえか。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
羽左衛門うざえもんに似た(別に僕は君が羽左衛門にも誰にも似ているとは思わないが、美男子という事を強調するために、おじさんの知っていそうな美男の典型人の名前を挙げてみただけである)
未帰還の友に (新字新仮名) / 太宰治(著)
春秋座には歌舞伎かぶきの古典が歓迎されるだろうという兄さんの意見で、黙阿弥もくあみ逍遥しょうよう綺堂きどう、また斎藤先生のものなど色々やってみたが、どうも左団次や羽左衛門うざえもん声色こわいろみたいになっていけない。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)