旧字:眞如
あらゆる煩悩と執着とを断って、真如の生活に入る道場だ。そう思い返すと、俊寛は生れ変ったような、ほがらかな気持がした。
実と虚と相接するところに虚実を超越した真如の境地があって、そこに風流が生まれ、粋が芽ばえたのではないかという気がするのである。
“真如”の意味
《名詞》
すべてのものの真実の姿。
(出典:Wiktionary)
(出典:Wiktionary)
“真如”の解説
真如(しんにょ、巴, sa: tathatā、蔵: )は、原義では「あるがままであること」「そのような状態」という意味であり、物事の真理・実際のあり方 (the way things are in truth or actuality)oxford、無名で無個性な現実 (nameless and characterless reality)のことである。
『金剛般若経』のサンスクリット本に出て、「真如性」と訳されている。「真」とは真実、「如」とは如常の意味である。諸法の体性虚妄を離れて真実であるから真といい、常住であり不変不改であるから如と言うとされる。
真如はまた、法、自性清浄心、仏性、法身、如来蔵、実相、法界、法性、円成実性と同体異名であるとされる。
(出典:Wikipedia)
『金剛般若経』のサンスクリット本に出て、「真如性」と訳されている。「真」とは真実、「如」とは如常の意味である。諸法の体性虚妄を離れて真実であるから真といい、常住であり不変不改であるから如と言うとされる。
真如はまた、法、自性清浄心、仏性、法身、如来蔵、実相、法界、法性、円成実性と同体異名であるとされる。
(出典:Wikipedia)