溝渠こうきょ)” の例文
おそらく何人といえども、この反省の自分の行為の前に横たえる溝渠こうきょを越えることは容易ではあるまい。私の足はぴったりと止まった。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
それは写真器械というものと人間の目というものの間に存する一つの越え難き溝渠こうきょの存在を忘れているように私には思われることである。
映画雑感(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
枕山の家は忍川の溝渠こうきょに架せられた三枚橋の南側にあったという事であるが、今日溝渠は既に埋められて橋の跡も尋ねにくくなったので
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
溝渠こうきょ廃址はいしの赤黒い迫持せりもちの下には白巴旦杏しろはたんきょうが咲いていた。よみがえったローマ平野の中には、草の波と揚々たる罌粟けしの炎とがうねっていた。
しそこに越えることの出来ない溝渠こうきょがあるというならば、私はむしろ社会生活を破壊して、かの孤棲こせい生活を営む獅子しし禿鷹はげたかの習性に依ろう。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
城内にもひとすじの内濠うちぼりがあったが、そこは溝渠こうきょのような幅しかない。累々るいるいと重なりあう死骸の血が、そこの水まであかくした。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
更に附近の溝渠こうきょ中に浮みおる塵芥の下より、繃帯したる咽喉部を撃ち貫かれたる鮮人留学生らしき屍体を発見したり。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
けだし、この二種の論者の間に、一条の溝渠こうきょありて相隔つるによる。例えば、甲論者は現に妖怪を実視せりといい、乙論者はこれ神経作用なりという。
妖怪学講義:02 緒言 (新字新仮名) / 井上円了(著)
近来(純粋自然主義が彼の観照かんしょう論において実人生に対する態度を一決して以来)の傾向は、ようやく両者の間の溝渠こうきょのついに越ゆべからざるを示している。
あるいは道路はたんとしてのごとく自在に運搬交通をなし、あるいは水なきの地は溝渠こうきょ穿うがって流水を通じ、あたかも人力をもって天造を圧倒したる景状あり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
その次は、夏日咸陽かじつかんよう巴水はすい……次は何んと書いたか解らない。溝渠こうきょという文字もある。暗動という文字もある。兎も角、何んの事か、これだけでは一向見当が付かない。
古城の真昼 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
そしてある日大溝渠こうきょの中で出会った男がいかなる人物であったかを、狡智こうちによって発見した、あるいは少なくとも帰納的に察知し得た。その名前までも容易に推察した。
何となれば、彼の頭の中にえがかれている人生と現実の人生との間にはあまりにも残酷な溝渠こうきょ穿うがたれている。少くも今日の世の中では今村のような人間の存在そのものが甚だ不自然である。
犠牲者 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
そして計画した溝渠こうきょがどれだけ延びたか、11555
安永年代の浮絵は元より和蘭陀銅板画の模倣なるが故に江戸名所の風景と共にまた西洋風の寺院市街溝渠こうきょの景をも描きたり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかし、私と友との間にはどれほど友情の本質に関する寂寞と煩悶とが続いたことだろう。今もなおそのえがたき溝渠こうきょを思えば暗然とする。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
イギリスが数世紀来それをかてとしてるのを思うと、僕はおののかざるを得ない。イギリスと僕との間に海峡の溝渠こうきょが感ぜられるのは仕合わせだ。
独立な屋根をもった舞台の三方を廻廊のような聴衆観客席が取り囲んで、それと舞台との間に溝渠こうきょのような白洲しらすが、これもやはり客席になっている。
雑記(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
物産を蕃殖はんしょくせしめ、有無うむを相通ぜしめ、水道、溝渠こうきょ、貯蓄等の民政を振作し、いて鰥寡かんか孤独こどく愛恤あいじゅつする等のおのずから現時の国家社会制を実践したるもの一にして足らず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
もろもろの記念物のうちにおいても、パリーの巨大な下水の溝渠こうきょは特に、マキアヴェリやベーコンやミラボーなどのごとき人物によって人類のうちに実現された不思議な理想を
広大な、本能寺の地域を平均何尺か地盛りしたほどの土をさらった溝渠こうきょである。また万一の備えにも、この濠は、重要な意味をもつので、深ければ深いほどよいわけでもある。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
真直に穿うがちたる大溝渠こうきょ
江戸時代にあってはお玉稲荷いなりの伝説と藍染川あいぞめがわ溝渠こうきょに架せられた弁慶橋という橋の形の変っていた事との二つから、あまねく人に知られた地名であった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
私は少し行き過ぎて、深い掘割溝ほりわりみぞがけの縁にすわって溝渠こうきょと道路のパースペクチーヴをまん中に入れたのを描いた。近所の子供らが入り代わり何人となくのぞきに来た。
写生紀行 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
けれども、やってみようという者もいた。汚水の溝渠こうきょにもそのクリストフ・コロンブスがいた。
明け方、まだ白い残月がある頃、いつものように府城、官衙かんがの辻々をめぐって、やがて大きな溝渠こうきょに沿い、内院の前までかかってくると、ふいに巡邏のひとりが大声でいった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼と彼の過去との間ににわかに溝渠こうきょ穿うがったものは、最近半年間の経験であった。
殊にドガの踊子軽業師、ホイスラアが港湾溝渠こうきょの風景の如きすべて活躍動揺の姿勢を描かんとする近世洋画の新傾向は、北斎によりてその画題を暗示せられたる事僅少きんしょうならず。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それで下水溝渠こうきょはすべてこれをミスシッピイ河に放流してしまうようになっている。
話の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
また、どろで赤く濁ってあたかも土地が歩き出してるようなテヴェレ河のほとり——大洪水だいこうずい以前の怪物の巨大な背骨みたいな溝渠こうきょ廃址はいしに沿って、広漠こうばくたるローマ平野の中をさまようた。
なおついでに一言するが、人は右の言葉よりして、この二種の歴史家の間に、両者をへだつる溝渠こうきょが存すると推論するかも知れないけれども、それは我々のいうところを誤解したものである。
第五は芝の桜川さくらがわ根津ねず藍染川あいそめがわ、麻布の古川ふるかわ、下谷の忍川しのぶがわの如きその名のみ美しき溝渠こうきょ、もしくは下水、第六は江戸城を取巻く幾重いくえほり、第七は不忍池しのばずのいけ角筈十二社つのはずじゅうにそうの如き池である。
そしてその日の夕刊に淀橋よどばし近くの水道の溝渠こうきょがくずれて付近が洪水こうずいのようになり、そのために東京全市が断水に会う恐れがあるので、今大急ぎで応急工事をやっているという記事が出た。
断水の日 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
高圧電線の支柱の所まで来ると、川から直角に掘り込んで来た小さな溝渠こうきょがあった。これに沿うて二条のトロのレールが敷いてあって、二三町隔てた電車通りの神社のわきに通じている。
写生紀行 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
すべ溝渠こうきょ運河の眺望の最も変化に富みかつ活気を帯びる処は、この中洲の水のように彼方かなた此方こなたから幾筋の細い流れがやや広い堀割を中心にして一個所に落合って来る処、もしくは深川の扇橋おうぎばしの如く
溝渠こうきょの向こう側には小規模の鉄工場らしいものの廃墟はいきょがある。長い間雨ざらしになっているらしい鉄の構造物はすっかり赤さびがして、それが青いトタン屋根と美しい配合を示している。
写生紀行 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)