温味あたたかみ)” の例文
一言すれば理窟ばかりで、面白味も温味あたたかみもない冷たい重苦しい感じのする人物だった。世辞も愛嬌もないブッキラ棒な無愛想な男だった。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
その乏しい余裕をいて一般の人間を広く了解りょうかいしまたこれに同情し得る程度に互の温味あたたかみかもす法を講じなければならない。
道楽と職業 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
手をやって払いけようとしたが、そのひょうしに手のさきに生物の温味あたたかみを感じたので、力を入れて握り締めた。
狼の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
たしかにまだ息がある。手首を握ってみると、最初は殆ど分らないほど微かだった脈が、段々はっきりと指先に触れてきた。どうやら温味あたたかみも戻って来るようだ。
黒猫十三 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
あの人たちは、みなじぶんを心のそこからいとしんでくれる、骨肉こつにくのようなやさしさと、温味あたたかみをもっている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いかに野育のそだちの彼でも多少の理屈は呑込のみこめるのである。加之しかこれはお葉の説教である。復讐に凝固こりかたまった彼の頭脳あたまの氷も、愛の温味あたたかみで少しくめて来たらしい。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
男のからだには、まだ温味あたたかみがあった。正太が彼のからだをうごかすと、その男はかすかにうなった。
人造人間エフ氏 (新字新仮名) / 海野十三(著)
まして近ごろ多くの人が従事する仕事には心尽しの温味あたたかみがあって、始めて完美かんびするものである。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
只管ひたすら欲するように、他人との軋轢あつれきや争いに胸を傷つけられ、瑠璃子夫人に対する幻滅で心を痛めた信一郎は、家庭の持っている平和や、妻の持っている温味あたたかみの裡に、一刻も早く
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
霰は、令一の衣物きものの上に当って、ころころとたもとふるうたびに散ってしまった。けれど頭髪の中に落ちたものや、襟元に溜ったものは、その儘白くなって、体の温味あたたかみで解けかかった。
凍える女 (新字新仮名) / 小川未明(著)
私は彼女の呼気いき温味あたたかみを頬に感じました。彼女の鼓動を私の胸に感じました。
悪魔の聖壇 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
部屋着を脱ぐと、襦袢じゅばんで、素足がちらりとすると、ふッ、と行燈を消しました。……底に温味あたたかみを持ったヒヤリとするのが、酒のく胸へ、今にもいいかおりさっまつわるかと思うと、そうでないので。
菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と、こう考えると、彼の空中に編み上げる勝手な浪漫ロマンが急に温味あたたかみを失って、みにくい想像からでき上った雲の峰同様に、意味もなく崩れてしまった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
直ぐにむっちりと弾力のある乳房が手に触れたが、その胸にはもう、彼を散々悩ましたあのけつくような熱は無く、わずかに冷めて行くほの温味あたたかみしか感じられなかった。
白蛇の死 (新字新仮名) / 海野十三(著)
続いて𤢖の為に左のももきずつけられた。加之しかも二度目の傷は刃物で突かれたと見えて、洋袴ずぼんにじみ出る鮮血なまち温味あたたかみを覚えた。究竟つまり彼は左の片足に二ヶ所の傷を負っているのであった。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それに肉のないすうッとした高い鼻というものはまた温味あたたかみにとぼしいものでしょう。
機密の魅惑 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
てらのないその態度がお延にはうれしかった。彼女は慰さめるような温味あたたかみのある調子で答えた。言葉遣いさえ吾知らず、平生ふだんの自分に戻ってしまった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それがものの二十間とも歩かないうちに以前の感情はどこかへ消えてしまって、打って変った一種の温味あたたかみを帯びた心持で後帰あとがえりをしたのはなぜだか分らない。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
我々は夕暮の本郷台ほんごうだいを急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うのおかのぼるべく小石川の谷へ下りたのです。私はそのころになって、ようやく外套がいとうの下にたい温味あたたかみを感じ出したぐらいです。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
はげしい労役の結果早く年を取るんだとも解釈は出来るが、ただ天然自然に年を取ったって、ああなるもんじゃない。丸味とか、温味あたたかみとか、優味やさしみとか云うものは薬にしたくっても、探し出せない。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)