“年季(ねんき)” の例文
「一日も早くというて、それが今年か来年のことか。ここの年季(ねんき)は丸六年、わたしのような孱弱(かよわ)い者は、いつ煩ろうていつ死ぬやら」
鳥辺山心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
やがて年季(ねんき)があけて、いよいよ国ぐにをまわって修業(しゅぎょう)して歩こうというときになりますと、親方(おやかた)が小さなテーブルをこのむすこにくれました。
平次一代の大縮尻(しくじり)だ——せめてお時のところへ行つて、詫(わび)でも言つて來ることだ。百兩の金が本當にお時のものなら、年季(ねんき)奉公しても返す工夫をするよ
道子(みちこ)は小岩(こいは)の色町(いろまち)へ身売(みうり)をした時(とき)の年季(ねんき)と、電話(でんわ)の周旋屋(しうせんや)と一緒(しよ)に暮(くら)した月日(つきひ)とを胸(むね)の中(うち)に数(かぞ)へ返(かへ)しながら
吾妻橋 (新字旧仮名) / 永井荷風、永井壮吉(著)
其方(そのはう)へ屹度(きつと)預(あづ)くる間吉原勤め年季(ねんき)だけは汝が方へ差置べし若此娘の儀に付異變(いへん)之有(これあら)ば早速此方へ訴へ出(いで)よと申渡されければ七右衞門は此事を聞(きく)より彌々(いよ/\)有難く思ひ聲を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
勘次(かんじ)は奉公(ほうこう)の年季(ねんき)を勤(つと)めあげて歸(かへ)つたと成(な)つた時(とき)、卯平(うへい)とは一(ひと)つ家(うち)で竈(かまど)を別(べつ)にすることに成(な)つた。
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
村ではこれと今までの小昼(こびる)や小(こ)ジュウハンと、べつべつに見ている人もまだ多いが、農家にもおいおい年季(ねんき)の奉公人(ほうこうにん)がすくなく、日雇(ひやと)いの働き手を入れるようになると、食べさせる物も一つになり
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
年季(ねんき)を入(い)れた一(いつ)ぱしの居職(ゐじよく)がこれである。
十六夜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
報(はう)ぜんと思ひ一人の娘を新吉原江戸町一丁目玉屋山三郎方へ身の代金(しろきん)五十兩にて年季(ねんき)勤(つと)めに遣はし右五十兩の中二十五兩を大橋の方へ持參仕り候處文右衛門儀武士(ぶし)の意氣地(いきぢ)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
いかほど抱主(かゝへぬし)に歩割(ぶわり)を取(と)られても、自分(じぶん)一人(ひとり)では使(つか)ひ切(き)れないくらいで、三年(ねん)の年季(ねんき)の明(あ)ける頃(ころ)には鏡台(きやうだい)や箪笥(たんす)も持(も)つてゐたし、郵便局(いうびんきよく)の貯金(ちよきん)も万(まん)以上(いじやう)になつてゐたが、帰(かへ)るべき家(うち)がないので
吾妻橋 (新字旧仮名) / 永井荷風、永井壮吉(著)
喜八に渡(わた)し別れてこそは歸りけれ偖(さて)此喜八は古河吉右衞門が方に十年の年季(ねんき)を首尾能(しゆびよ)く勤(つと)め上(あげ)吉右衞門より金五十兩貰(もら)ひて穀物店(こくもつみせ)を江戸へ出しけるが二年の間(あひだ)に三度類燒(るゐせう)なし資本(もとで)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)