向背こうはい)” の例文
こんなふうに、新政府が地方人民を頼むことの深かったのも、一つは新政府に対する沿道諸藩が向背こうはいのほども測りがたかったからで。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
時政の考えると同じように、彼もまた、兄弟の不参と聞いて、隣国の大きな一勢力の向背こうはいに心安からぬものを覚えたが、それ以上
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
戦国の世のことゆえ向背こうはいのつねならぬはさしてとがむべきではないにしても、一世の軍師とうたわれる人にしてはあまりに節操のない経歴である。
日本婦道記:忍緒 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
孔悝の名において新衛侯擁立ようりつの宣言があるからとて急に呼び集められた群臣である。皆それぞれに驚愕きょうがく困惑こんわくとの表情をかべ、向背こうはいに迷うもののごとく見える。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
いわゆる郷士なるものはたびたび二三勢力ある大名の間に向背こうはいして、いかにも内股膏薬うちまたごうやく定節ていせつがなかったように見えるが、しかもだいたいからいうと彼等を拘束しておった法則は
家の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
が、せめてこうした大切な時に、一藩の向背こうはいだけは誤らせたくないという憂国の志は、持っていた。それが、今日の城中の会議で、とうとう藩論は、主戦に決してしまったのである。
仇討禁止令 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
個人主義は人を目標として向背こうはいを決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、ある場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。それはそのはずです。
私の個人主義 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
斯様な時に女ほど早く人の心の向背こうはいを見て取り、女ほど深く不興を感ずる者はない、秀子は忽ち余の心変りを見て取った、勿論態々わざわざ余の昨日からの不実らしい所業を許して呉れようとて
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
が、彼はそれらの不忠の侍をも、憐みこそすれ、憎いとは思っていない。人情の向背こうはいも、世故せこの転変も、つぶさに味って来た彼のまなこから見れば、彼等の変心の多くは、自然すぎるほど自然であった。
或日の大石内蔵助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
時潮の人間は、大義名分だけでも去就きょしゅうしていない。利害だけで向背こうはいするとも限ッていない。恩や恨みによってもままうごく。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一方に会津、一方に長州薩摩というような東西両勢力の相対抗する中にあって、中国の大藩としての尾州の向背こうはいは半蔵らが凝視のまととなっている。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
彼はその向背こうはいを明らかにしなければならぬだろう
「そうだ。ここ久しく戦に忙しく、狩猟に出たこともない。天子を許田きょでんかりに請じて、ひとつ諸人の向背こうはいを試してみよう」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そういう奸臣を倒したなら自然と幕府においても悔いる心ができて、これからは天朝を尊び夷狄を憎み、国家の安危と人心の向背こうはいにも注意せらるるであろうとの一念から
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
いま大坂にあるらしい徳川家康は無二の世渡り上手、すでに信長しと見たら、彼の向背こうはいもただわが誘いの如何によろう。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当時は新政府の信用もまだ一般に薄かった。沿道諸藩の向背こうはいのほども測りがたかった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この地方にもその向背こうはいふたつの底流は変りなかった。とくに山陽道でも備前、備中の郷士には、いつ火をくかしれないような活火山が厳存している。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
薩摩藩さつまはん大久保市蔵おおくぼいちぞうからも幕府への建言があって、これは人心の向背こうはいにもかかわり、莫大ばくだいな後難もこの一挙にある、公使らの意見にのみ動かされぬよう至急諸侯を召してその建言をきかれたい
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
まだ部屋住へやずみではあるが、藩の向背こうはいに依って、殉死にも、籠城にも、加わらせる考えでいると云ったので、喜兵衛はもう我意がいを張るわけにゆかなかった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当時の諸藩、および旗本の向背こうはいは、なかなか楽観を許さなかった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
毛利家の将来の向背こうはいを、しかと、その旗幟きしに明らかにすべきことを——思いきったことばをもってうながしている——私信とはいえ、重大な書面なのであった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
魏の急使は、呉の主都、建業に着いて、いまや呉の向背こうはいこそ、天下の将来を左右するものと、あらゆる外交手段や裏面工作に訴えて、その吉左右きっそうを待っていた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当然、なおそれらのことも、打ち明けたい気持でいっぱいだったが、かんじんな秀吉は、一小寺家の向背こうはいぐらいは、いずれでもよし、といわぬばかりなていである。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうだ、織田家につくか、今川家にるか、三河の向背こうはいも、お使者は胸にたたんで帰られた筈……」
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ましてや、あなた様や胤正様の上にも、お父上常胤様という者がおありなのですから、左様に、手軽く向背こうはいを決めるわけに参らぬのも、決してご無理とは存じません
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは、さきに官兵衛が、陣中を抜けて、ひそかに使いに通っていた備前の浮田直家うきたなおいえ向背こうはいであった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
柴田、滝川は遠隔にあり、徳川は自国へ退き、細川、筒井の向背こうはいは知れず、丹羽にわは大坂表にあって織田信澄おだのぶずみを始末したという風聞のみで、これもそれ以上に出ていない。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江戸のろくんだ家に生まれた江戸の武士、このきずなをどうしよう! いや、それはもう、清濁せいだくの時流を超え、世潮せちょう向背こうはいをも超えてどうにもならない性格にまでなっている
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家康が今、浜松をけて、馬を信濃に立てるとしたら、まず北条の向背こうはいも、疑問になる。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
岡崎城の向背こうはいがどう傾くか? これがこの頃の彼の頭脳あたまにあるいちばんの興味であった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こんどは慇懃いんぎんに、老臣の言をなだめて——「すでに殿には、神明にお誓いあって、小寺家の向背こうはいは、汝の信念にまかせんとそれがしに対しても、ご誓約せいやくを下しおかれてあるのですぞ」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人心の向背こうはいは、おそらく七分通りも、信雄、家康の方へ傾いて行ったにちがいない。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
備前、美作みまさかの二州を擁して信長勢力と毛利けん内との、ちょうど中間にある山陽の宇喜多家は、或る意味での中国の将来は、その向背こうはいによって定まるといっても過言ではないのである。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弥太之丞に夕飯を与えるように吩咐いいつけて、彼は、早くから寝所へ入ってしまった。その翌日の二十七日には、全藩士の向背こうはいを一決しようとする城内大会議の予定が胸にあったのである。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ちょうど三角対峙たいじをなし、彼ら父子の向背こうはいは、油断ならず思われていたが、信雄様が、この際、池田父子を信じて、その質人をお返しになったのは、まことに御賢明なといわねばならぬ。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ご当家にも、はや嫁君を迎えてよいご子息がおありですから、婚を通じて、まず、呂布の心を籠絡ろうらくするのです。——その縁談を、彼が受けるか受けないかで、彼の向背こうはいも、はっきりします」
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
熊野水軍の向背こうはいは、どっちとも、これを俄に予断することはむずかしい。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
瀬兵衛も右近も、内心、自分たちの向背こうはいが持つ価値と力を知っている。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
海道の日和見武士のうちには、道誉の参陣を見てから寄って来たものもある。彼の向背こうはいにさえ注意していればおのずから勝目のいずれかが分ると自己の去就のうらないとしている武族も近ごろは多かったのだ。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)