分限ぶげん)” の例文
武士たるもの二〇みだりにあつかふべからず。かならずたくはをさむべきなり。なんぢいやしき身の分限ぶげんに過ぎたるたからを得たるは二一嗚呼をこわざなり。
木場の大旦那で、万両分限ぶげんの甲州屋万兵衛は、今朝、卯刻むつ半(七時)から辰刻いつつ(八時)までの間に、風呂場の中で殺されていたのです。
そへ種々いろ/\禮物れいものおくりけるゆゑ五八はにはか分限ぶげんとなり何れも其家々そのいへ/\繁昌はんじやうなせし事實に心實しんじつほど大切たいせつなるものはなしと皆々感じけるとなん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
熊本の吉文字屋——北は津軽の吉尾、松前の安武より、南は平戸の増富らに至るまでの分限ぶげんを並べて、その頭のよいことに関守氏を敬服させた後
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
このマスロフというのが親子とも十万分限ぶげんのやりてで、自分が値をつけたら、どんなことがあっても取らにゃ承知せんというやつで、こちらの商人で
津軽大名炭屋鹽原と世にうたわるゝ程の分限ぶげんに数えられ、其のいえ益々富み栄えましたが、只正直と勉強の二つが資本もとででありますから、皆様く此の話をあじわって
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
かかる目印ある人の名はたれしも問はであるべきにあらず、れしはお俊の口よりなるべし。彼は富山唯継とみやまただつぐとて、一代分限ぶげんながら下谷したや区に聞ゆる資産家の家督なり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
……町内随一の大分限ぶげんの身代が次第々々にぐらつきだし、今ではいたずらに大きなそこの土蔵の白壁の、煤け、汚れ、崩れ果てて、見るかげもなく鬼蔦おにづたの生い繁り
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
絹子さんのは千代子が拾ったと見えて、これも郁子や敏子よりは遙かに分限ぶげんになっていた。
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
一見分限ぶげん者らしい別邸構えが、ちょっと右門に不審をいだかせましたが、事の急はそれなる家が立て札に指名されてある災難者であるかどうかが先でしたから、ずいと中へ通ると
そは長崎の大分限ぶげん降矢木鯉吉の建造に係るものにして、いざその由来を説かん。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
そこで田に水を落す前にたまりを作っておいて、天日てんぴで暖める工夫をしたものだが、それが図にあたって、それだけのことであんな一代分限ぶげんになり上ったのだ。人ってものは運賦天賦うんぷてんぷで何が……
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ここで徒侍の分限ぶげんなどについて、武家生活の方から何かいうのは、われわれの任でもなし、またこの句にそう必要なわけでもない。歩長屋は徒侍の住んでいる長屋と解してよさそうに思う。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
肩書の分限ぶげんに依って職を求むれば、すみやかに玄関を構えて、新夫人にかしずかるべき処を、へきして作家を志し、名は早く聞えはするが、名実あいかなわず、砕いて言えば収入みいりが少いから、かくの始末。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
博奕ばくちで儲けあげて村内屈指の分限ぶげんであつた初太郎の父は兼ねて自分の父などが、常々「舊家」といふを持出して「なんの博勞風情が!」といふを振𢌞すのがしやくに障つてたまらなかつた所であつたので
古い村 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
「意気地なしの小娘。よし、おまえの若さは貰った。わたしはこれを使って、ついにおまえをわたしの娘にし得なかった人生の何物かに向って闘いを挑むだろう。おまえは分限ぶげんに応じて平凡に生きよ」
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
案内に立つたのは、番頭の藤三郎、萬兩分限ぶげんの支配人にしては、年も若く人品も立派で、一寸武家の用人と言つた心持のある三十男です。
当時きっての分限ぶげんの御機嫌を取ることの有利なるに走るのは人情だから、いまさら道庵が、そんなことにひがみを起しているほどの野暮やぼではないはずだから
多助も稼ぎ人なれば互に睦まじく、毎日休む処が極って居ります。それは四つ目の藤野屋杢左衞門ふじのやもくざえもんと申してお駕籠御用達しで、名字帯刀御免の分限ぶげんでござります。
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
外神田の三分の一も持つて居るだらうと言はれた河内屋又兵衞、萬兩分限ぶげんの大町人を、平次が知らなくて宜いものでせうか。
銭形平次捕物控:050 碁敵 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
「いかがです、この辺のところでお気には召しませんか——何しろ、大名や分限ぶげんの仕事と違いまして、わたしどものやることですから、この辺がまあ精一杯ですね」
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「驚きましたよ、その娘といふのは、本所八軒町で名題の大分限ぶげん、石川屋權右衞門の一人娘お梅さんといふんだ相で」
あの国でも二と下らない分限ぶげんなのでございますから、お嬢様の分として分けてある財産だけでも少々のものではございませんのです、それをやらないと言えば、またあのお銀様が
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
木場の大旦那で、萬兩分限ぶげんの甲州屋萬兵衞は、今朝、卯刻半むつはんから辰刻いつゝまでの間に、風呂場の中で殺されて居たのです。
次第によってはこんなのが、三井や鴻池こうのいけしの分限ぶげんにならないとも限らない、全く金で固まった面白くもない若造だけれども、こんなのをこっちのものにして置くのも不為めではない。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
多賀屋は神田で幾軒といふ分限ぶげんだ、その上お福はあの通り美しい。大概たいがいのことなら無理をし度くなるだらうよ。
「名古屋分限ぶげん見立角力みたてずもう
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
一番有利な取引を心掛け、到頭小柳町の萬兩分限ぶげん、伊丹屋駒次郎の嫁にするところまでぎつけたのでした。
萬兩分限ぶげんと言はれる大分限のくせに、塗籠ぬりこめ一つ作らず、『佐渡の土は燒けないから』と漏らしたといふ、主人徳右衞門の不敵さは、町内の噂になつて居ります。
萬兩分限ぶげんの地主の子に生れた駒次郎は、この春伊丹屋の主人になつて、もつともらしい尾鰭をひれを加へたにしても、平次の眼にはまだ道樂者の若旦那でしかなかつたのです。
江戸分限ぶげん番附の前頭筆頭に上る家柄、先代の總七は三年前に死んで、今は手代上りの養子總七の代になつて居ることは、岡つ引きならずともよく知つて居ることです。
万両分限ぶげんも、こうなっては見る影もありません。何もかもまだベットリ濡れて、出血のために青く引締った顔は、月の光の下に、不気味なほど人間離れがして見えます。
「聞いたことがあるやうだな——山の手では分限ぶげんのうちに數へられてゐる地主か何んかだらう」
「聞いたことがあるようだな——山の手では分限ぶげんのうちに数えられている地主かなんかだろう」
「万兩さんで通つてますよ、万兩分限ぶげんの息子だから万兩息子、はつきりして居まさあ、尤も親のつけた名は、半次郎といふんで、人間が半端だから半次郎、これも理詰めで」
横山町の米屋——といつても、金貸しの方で名高い萬兩分限ぶげん、越後屋佐兵衞の跡取あととり娘お絹、辨天べんてんとも小町とも、いろ/\の綽名あだなで呼ばれる、界隈かいわい切つての美人だつたのです。
「人殺しの下手人が本當に萬兩分限ぶげんの萬三郎なら、五兩や三兩で岡つ引の口をふさがうとはしません。少くとも五十兩とか百兩とか、吃驚するやうな大金を出すに決つて居ります」
昨夜亥刻よつ時分に、麹町三丁目の雜穀屋で、山の手切つての分限ぶげんと言はれた伊勢屋總兵衞から、急病人があるからと、駕籠を釣らせて迎へに來たので、道庵は取るものも取り敢へず
「悪性男は、——江戸一番の分限ぶげんと言いふらして、金無垢きんむくの鯉で私の父親をたぶらかしました。あれがその時の金無垢の鯉ですよ、——銅に薄く金を着せたとは田舎者の眼が届きません」
「うん、知っているとも、たいそうな分限ぶげんだということだ。それがどうした」
「うん、知つてゐるとも、大層な分限ぶげんだといふことだな。それがどうした」
昔は吾妻屋と並んだ町内の分限ぶげんで、死んだ先代の頃、吾妻屋と組んで仕入れた上方の織物で大きな損をし、吾妻屋が巧みに逃げたために、一人で引受けて身代をつぶしたのだと言われております。
昔は吾妻屋と並んだ町内の分限ぶげんで、死んだ先代の頃、吾妻屋と組んで仕入れた上方の織物で大きな損をし、吾妻屋がたくみに逃げたために、一人で引受けて身代をつぶしたのだと言はれて居ります。
「それは私にはよくわかりませんが、これで私もどうやら千両分限ぶげんになった——と言って居たのは、去年の夏あたりでございます——もっともそのうち九百両までは貸した金だが、とも言っておりました」
「不足らしい事を言ふな。相手は大分限ぶげんの越後屋の祕藏娘だ」