一雫ひとしずく)” の例文
ただ一雫ひとしずくの露となって、さかさに落ちて吸わりょうと、蕩然とろりとすると、痛い、いたい、痛い、疼いッ。肩のつけもとを棒切ぼうぎれで、砂越しに突挫つきくじいた。
貝の穴に河童の居る事 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
なにも礼を言われたいために危険をおかして来たのではないけれども、人の情に対する感謝の美しい一雫ひとしずくを見たいものと思わないではなかったのに、この人は
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
純白なものに一雫ひとしずく印気インキでも容赦ようしゃなく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかし、その不安は、すでに現在のようになっているわたくしの身や心のものに取っては、吸物の汁に忍ばせる酢の一雫ひとしずくであり、眼隈に添える墨の一掃毛であります。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
丁度ちょうどその時、後ろに立っていた召使が、未来の大使の鼻を急いで拭いた、拭いてくれたからよかったが、でなかったら、とんだものが一雫ひとしずく、スープの中へ落ちるところであった。
「はい」こらえていたものを、範宴は、ぽろりと一雫ひとしずく、こぼしてしまった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
須臾しゅゆいのち小枝さえだに托するはかない水の一雫ひとしずく、其露を玉と光らす爾大日輪!
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
という進まぬ鼻の表情……仮令たとえそれが悲し気に痛々しくなってやがてホロリと一雫ひとしずくしないまでも、ここを見損ねた親たちや仲人は、あったら娘を一生不幸の淵に沈淪ちんりんさせる事になるのであります。
鼻の表現 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
お登和嬢はとみこたえず、たれたるこうべはいよいよ下を向て一雫ひとしずく涙のたれし様子。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
と新太郎君は俯向いて一雫ひとしずく落した。
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
ところが、差当り、今目の前に、貴女の一雫ひとしずくの涙を頂かないと、死んでも死に切れない、あわれな者があるんです。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「厭だって……」とと言いけて糸子は急に俯向うつむいた。しばらくは半襟はんえりの模様を見詰めているように見えた。やがてしばたたまつげからんで一雫ひとしずくの涙がぽたりとひざの上に落ちた。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
此の都の魅力に対する憎みを語って語り抜いて彼女から一雫ひとしずくでも自分の為めに涙を流して貰ったら、それこそ自分の骨のずいにまで喰い込んでいる此の廃頽はいたいは綺麗に拭い去られるような気がする。
巴里祭 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
これでいて今夜も降るまい。癖にって、一雫ひとしずくの風をいざなう潮のもないのであった。
浮舟 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
水のなかに紛れ込んだ一雫ひとしずくの油は容易に油壺あぶらつぼの中へ帰る事は出来ない。いやでも応でも水と共に流れねばならぬ。夢を捨てようか。捨てられるものならば明海へ出ぬうちに捨ててしまう。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それさえ尋常ただならず、とひしめく処に、てて加えて易からぬは、世話人の一人が見附けた——屋台が道頓堀を越す頃から、橋へかけて、列の中に、たらたら、たらたらと一雫ひとしずくずつ
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
細い足を壺のふちけて、ちさい嘴に受けた一雫ひとしずくを大事そうに、仰向あおむいてくだしている。この分では一杯の水が十日ぐらい続くだろうと思ってまた書斎へ帰った。晩には箱へしまってやった。
文鳥 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
雪まじりに鳥の羽より焼屑やけくずうずたかい処を見着けて、お手向たむけにね、びんの口からお酒を一雫ひとしずくと思いましたが、待てよとわっしあ考えた、正覚坊じゃアあるめえし、鴛鴦が酒を飲むやら、飲ねえやら。
唄立山心中一曲 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
上人しょうにん、読んでいましたのは御存じの雨月なんですが、私もなぜか自分の声に聞きれるほど、時々ぞッぞッとしちゃあその度に美しい冷い水を一雫ひとしずくずつ飲むようで、が涼しいんです。
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
この一雫ひとしずくが身に染みたら、荒鷲あらわしはしに貫かれぬお雪の五体も裂けるであろう。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「私にゃ何にもいわないんだもの……」と思わず襟に一雫ひとしずく、ほろりとして
海異記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)