“ひろひ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
歩行60.0%
40.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
ゆきこそふれはまだそれほどに御座ござりませねばとかへ支度じたくとゝのへるにそれならばたれともにおつれなされお歩行ひろひ御迷惑ごめいわくながら此邊このほとりにはくるま鳥渡ちよつとむづかしからん大通おほどほちかくまで御難澁ごなんじふなるべし家内うちにてすら火桶ひをけすこしもはなされぬに夜氣やきあたつておかぜめすな失禮しつれいなにもなしこゝよりすぐにお頭巾づきんれぞお肩掛かたかけまをせと總掛そうがゝりに支度したく手傳てつだ
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
雪頽なだれいのちおとしし人、命をひろひし人、我が見聞みきゝしたるをつぎまきしるして暖国だんこくの人の話柄はなしのたねとす。
ひろひ念頃ねんごろとぶらたくぞんじたづね候と申ゆゑ數多あまたの骨の中にていかでか是が親の骨と分かるべきやと申候に彦三郎しぼり骨へかける時は他人たにんの骨へは染込しみこむ事なく父の骨なれば染込候ゆゑゆび噛切かみきり
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ひろひ上げ養育やういくして弟子となしける者なり天道遷化せんげの後は拙僧が弟子となして永年召使めしつかふ者なればいかにも不便ふびんには存ずれど大功は細瑾さいきんかへりみずと依てかれころし其後吉兵衞殿に剃髮ていはつさせおもざしの似たるを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
そへて送りし處其翌日安五郎が私し方へ參られ申聞らるゝには大井河原にて我が女房の首をひろひたる節をりく無量庵の大源和尚通り掛られしより回向ゑかうを頼みたるに憫然あはれに思はれ首をはうむくれられしと物語りを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)