“拾(ひろひ)” の例文
此雪頽(なだれ)に命(いのち)を捨(おと)しし人、命を拾(ひろひ)し人、我が見聞(みきゝ)したるを次(つぎ)の巻(まき)に記(しる)して暖国(だんこく)の人の話柄(はなしのたね)とす。
拾(ひろひ)念頃(ねんごろ)に弔(とぶら)ひ度(たく)存(ぞんじ)尋(たづ)ね候と申ゆゑ數多(あまた)の骨の中にて爭(いかで)か是が親の骨と分かるべきやと申候に彦三郎血(ち)を絞(しぼ)り骨へ掛(かけ)る時は他人(たにん)の骨へは染込(しみこむ)事なく父の骨なれば染込候故(ゆゑ)指(ゆび)を噛切(かみきり)血(ち)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
拾(ひろひ)上げ養育(やういく)して弟子と成(なし)ける者なり天道遷化(せんげ)の後は拙僧が弟子となして永年召使(めしつか)ふ者なれば何(いか)にも不便(ふびん)には存ずれど大功は細瑾(さいきん)を顧(かへり)みずと依て彼(かれ)を殺(ころ)し其後吉兵衞殿に剃髮(ていはつ)させ面(おも)ざしの似たるを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
添(そへ)て送りし處其翌日安五郎が私し方へ參られ申聞らるゝには大井河原にて我が女房の首を拾(ひろひ)たる節機(をり)好(よ)く無量庵の大源和尚通り掛られしより回向(ゑかう)を頼みたるに憫然(あはれ)に思はれ首を葬(はうむ)り呉(くれ)られしと物語りを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)