馬道うまみち)” の例文
伯母から聞くと、馬道うまみちのお政の稽古所へ、日参しているほど取上気とりのぼせた八五郎に、こんな分別があろうとは思われなかったのです。
馬道うまみちに祖父の贔屓ひいきにしている鮨屋すしやがあったところから、よく助ちゃんに頼んで稽古にくるついでに買ってきてもらったりしていた。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
店の若い者の伊之助がさっき馬道うまみちまで使いに出て、そのついでに観音さまへ参詣にゆくと、仲見世で栄之丞にぱったり出逢った。
籠釣瓶 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
この二人は浅草公園を徘徊はいかいする不良ので、岩本は千束町に住んで活動写真の広告のビラをるのが商売、山西は馬道うまみち床屋とこやせがれであった。
水魔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
怪人物は、うしろを見ながら、ひろい道路を馬道うまみちの方へかけていく。かれは老人のように見えながら、いやに足が早かった。
金属人間 (新字新仮名) / 海野十三(著)
あの馬道うまみちの通りを、急いで帰って来たのですよ、すると、れ違った町娘が『あら染之助が来るよ』と、云うじゃないか。
ある恋の話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「ちょッとこっちへ寄ろうじゃねえか。ここは土手へ出る馬道うまみちの本通りだ、吉原なかへゆく四ツ手や人通りが多くって、おちおち話もしていられない」
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吉原通いの馬道うまみちなどは毎晩物凄いくらい、十五、六年頃を盛りに二十五、六年まで、その後ゴム輪になったが最初は丸ゴム、次に今日の空気入りタイヤ。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
博奕打ばくちうちが相手の懐合ふところあいを勘定したり、掏摸すりやインチキ師が「感付かれたな」と感付いたり、馬道うまみちあたりの俥屋が
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
十分間じつぷんかん七十五輌しちじふごりやうあへ大音寺前だいおんじまへばかりとははない。馬道うまみちくるままつた。淺草あさくさはうくはしことは、久保田くぼたさん(まんちやん)にくがい。……やま本郷臺ほんがうだい
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そのとき三人伴れの、職人らしい男たちが、馬道うまみちのほうから来かかり、はしにいた一人が深喜に肩をぶっつけた。かれらは酔って上機嫌で、鼻唄などうたっていた。
花も刀も (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
其の年も果て、翌延享三年二月二十九日の晩に、浅草馬道うまみちから出火いたし、吉原へ飛火とびひがしました。あるいは飛火がしたのではない、吉原からも出たのだと申します。
観音堂から堂へ向って右手の方は、馬道うまみち、それから田町たまち、田町を突き当ると日本堤にほんづつみ吉原土手よしわらどてとなる。
すぐに初酉はつとりなのに今年は例年よりあたたかくて、吹く風も湯あがりの上気した頬に快かつた、馬道うまみちの大通りにまだ起きてゐる支那ソバや十銭のライスカレーを食はせる店があつた
一の酉 (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
向島むこうじまに住んだ頃は、浅草へ行くというのが何よりの楽しみでしたけれど、歩いて行く時は、水戸様みとさまの前から吾妻橋あずまばしを渡って、馬道うまみちを通って観音様の境内へ入るので、かなりの道なのです。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
他の一筋は堤の尽きるところ、道哲どうてつの寺のあるあたりから田町たまちへ下りて馬道うまみちへつづく大通である。電車のないその時分、くるわへ通う人の最も繁く往復したのは、千束町二、三丁目の道であった。
里の今昔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
矢張やっぱり俳優やくしゃだが、数年すねん以前のこと、今の沢村宗十郎さわむらそうじゅうろう氏の門弟でなにがしという男が、ある夏の晩他所よそからの帰りが大分遅くなったので、折詰を片手にしながら、てくてく馬道うまみちの通りを急いでやって来て
今戸狐 (新字新仮名) / 小山内薫(著)
田町たまちから馬道うまみちにつづいた家も土蔵ももう一面の白い刷毛はけをなすられて、待乳まつちの森はいつもよりもひときわ浮きあがって白かった。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
三囲みめぐりから、竹屋の渡しを渡って、待乳山まつちやま馬道うまみち、富士神社と来ると、鉛色の空に、十二階のシルエットが浮いている。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
それから、この浅草寺ですが、混淆時代は三社権現が地主であったから馬道うまみちへ出る東門(随身門ずいじんもん)には矢大臣が祭ってあった。これは神の境域であることを証している。
浅草馬道うまみちの井城抱斎先生は早くも洋式に転向してなかなかの流行、それでも昔忘れぬ薬箱の御持参、旧式の桐箱ではない、黒皮張りのケースでふたをあけると原料の小瓶がずらり
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
家は馬道うまみち辺で二階を人に貸して家賃の足しにしていた。おかみさんはまだ婆さんというほどではなく、案外垢抜あかぬけのした小柄の女で、上野広小路ひろこうじにあった映画館の案内人をしているとの事であった。
草紅葉 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そうして浅草の方へとぼとぼと歩き出したが、馬道うまみちの角まで来てまた立ち停まった。どう考えてもこのまま主人の家へは帰りにくかった。
籠釣瓶 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
やり出すか判りゃしません。最初からこの野郎が一番怪しかったが、困ったことにその晩は馬道うまみち賭場とばで夜明しをして、一と足も外へ出なかったそうで
もう打っちゃっても置かれないので、七兵衛は自分で浅草へ出張って、馬道うまみちの裏長屋に住んでいる駕籠屋の勘次をたずねた。
半七捕物帳:18 槍突き (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
平次は馬道うまみちで朝帰りの客のために開いている飯屋に飛込み、そそくさと腹をこしらえながら、八五郎を励ましました。
馬道うまみちの上州屋という質屋の息子がひどく妹の方に惚れ込んでしまって、三百両の支度金でぜひ嫁に貰いたいと、しきりに云い込んで来ているんです。
半七捕物帳:22 筆屋の娘 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
事件のあくる日、変死した乞食の身許を洗いようがないと解ると、平次は最後の手段として、馬道うまみちに朝から張り通して今日も来るかも知れない娘を待ったのでした。
そのころ浅草の馬道うまみちに有名な接骨ほねつぎの医者があるというので、赤坂から馬道まで駕籠に乗って毎日通うことにした。
半七捕物帳:16 津の国屋 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
最初の一人は赤坂表町あかさかおもてまち流行はやり医者で本田蓼白ほんだりょうはく先生、これは二十日目に弁慶橋の下へ死体になって浮上がりました。二番目に行方不明になったのは馬道うまみちの名医、伊東参龍いとうさんりゅう先生。
そのあいだ何と云って誘って来たのか知りませんが、とうとう其の娘を馬道うまみちの方へ引っ張り出して来たんです。
半七捕物帳:02 石灯籠 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「すぐ解ったよ、馬道うまみちの糸屋、出雲屋いずもやの若主人宗次郎だ」
馬道うまみちの庄太という子分が神田三河町の半七の家へ駈け込んで来たのは、文久元年七月二十日の朝であった。
半七捕物帳:23 鬼娘 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
彼はあくまでその不思議の正体を突き止めたかった。その晩は徳寿に別れて、神田の家へまっすぐ帰ったが、あくる朝、浅草の馬道うまみちにいる子分の庄太を呼びにやった。
半七捕物帳:09 春の雪解 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
戸沢長屋は花川戸から馬道の通りへ出る横町で、以前は戸沢家の抱え屋敷であったのを、享保年中にひらいて町屋まちやとしたのである。そこへ来る途中、馬道うまみちの庄太に逢った。
庄太は浅草の馬道うまみちに住んでいながら、その菩提寺は遠い百人町の海光寺であるので、きょうは親父の命日で朝から墓参に来ると、ここらには唐人飴の噂がいっぱいに拡がっていた。
半七捕物帳:54 唐人飴 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
震災以後、町の形はまったく変わってしまったが、その頃の市村座へゆくには、馬道うまみちの大通りから妙に狭い横町のようなところを抜けたり曲がったりして、足場が甚だよろしくなかった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
馬道うまみちの鼻緒屋の娘で、ことし十六になるおすてというのが近所まで買物に出ると、白地の手拭をかぶって、白地の浴衣を着た若い女が、往来で彼女とすれ違いながら、もしもしと声をかけた。
半七捕物帳:23 鬼娘 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
馬道うまみちの下駄屋へたびたび呼び込まれて懇意になると、そこの亭主が悪い奴で、この小按摩を巧くだまし込んで、療治に行った家の物を手あたり次第にぬすませて、自分がやすく買っていたんです。
半七捕物帳:41 一つ目小僧 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
黒沼の屋敷を出て、半七は更に馬道うまみちの方へ行った。
半七捕物帳:10 広重と河獺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
浅草の馬道うまみちに河内屋という質屋があります。
半七捕物帳:30 あま酒売 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
馬道うまみちの露路の中でございます」
半七捕物帳:47 金の蝋燭 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
子分の庄太の家は馬道うまみちである。
半七捕物帳:56 河豚太鼓 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)