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關東
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くわんとう
左樣の人なるか
某も此度
據なき事にて九州へ下るなれ共此用向の
濟次第に是非とも
關東へ下向の心得なれば
其節は立寄申べしと
契約し其場は
別たり
扨寶澤は九州
路を
とにかく、メンスの
上つた
女性で(どうもこれも
失言らしいが)
老いてます/\
旺ん(これもまた
失言らしいが)なのは、
關西では
林歌子、
關東では
長谷川時雨だけである。
北國、
關東の
夷共の、君が安眠の
砌を駭かせ參らせん事、思へば心外の限りにこそ候へ。
凧、
皆いかとのみ
言ふ。
扇の
地紙形に、
兩方に
袂をふくらましたる
形、
大々小々いろ/\あり。いづれも
金、
銀、
青、
紺にて、
圓く
星を
飾りたり。
關東の
凧はなきにあらず、
名づけて
升凧と
言へり。
奴詞は一種粗雜な言葉づかひ、
六方ことば、
關東べい、とある。
徳利式の
貝塚土器は、
東北に
多くして、
關東には
甚だ
少ない。——
出ない
事はないが、
先づ
出たとしたら
異例と
云つても
好い。
駒木根肥前守
筧播磨守
久松豐前守
稻生下野守御目附には
野々山市十郎
松田勘解由徳山五
兵衞等の
諸御役人輝星の如く
列座せらる此時松平伊豆守殿
進出て申されけるは此度天一坊殿
關東下向に付今日御役人ども
御對面を
窺はんやと評議
區々にて更に
決着せざりしにぞ山内伊賀亮
進み出て申樣は
直に江戸表へ
罷下らん事先以て
麁忽に似て然べからず其
仔細は先年駿河大納言殿の御
子息長七郎君も先大坂へ御出の
吉例も
有ば此先例に
任せ一先大坂へ出張ゆる/\
關東の
動靜を