薬缶やかん)” の例文
旧字:藥罐
代助から見ると、誠吾はつるのない薬缶やかんと同じことで、何処どこから手を出して好いか分らない。然しそこが代助には興味があった。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
手堅い品が盛に作られてこそ本当の発展だというべきではないでしょうか。三条に続いてつばめで、鍋、釜、薬缶やかんの類に忙しい仕事を見せます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
背負しょいいまして、片手に薬缶やかんを提げたなりで、夕焼にお前様、影をのびのび長々と、曲った腰も、楽々小屋へ帰りますがの。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
草庵の台所では段々暑気に向ふて咽喉のどのかわきをいやす工夫が必要になつたので、大なるブリキの薬缶やかんを買ふて来て麦湯の製造に着手して居る。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
私が七歳ななつ八歳やっつの頃、叔父に連れられて一度その二階にのぼったことがある。火鉢に大きな薬缶やかんが掛けてあって、そのそばには菓子の箱がならべてある。
思い出草 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
薬缶やかんの方は扱いつけているけれども、鉄瓶の方は、あまり扱いつけていなかったものですから、少々熱い思いをしただけで、また神妙に取り直し
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
古金買いの中でも、なべかま薬缶やかんなどの古金を買うものと、金銀、地金じがねを買うものとある。あとの方のがいわば高等下金屋である。これに百観音は買われました。
二升もはいる大薬缶やかんほどの、鈍く光ったものが、地の上二、三尺の高さで、プカリプカリと流れていった。
旧聞日本橋:17 牢屋の原 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
ミチはコップにレモンシロップを入れ、薬缶やかんの水を足した。勇は天井をにらんだまま長い間黙って居る。
刺青 (新字新仮名) / 富田常雄(著)
其のかわりようく物を見る、ようく聴いて居る。ごく小さい時分から自在にかけた薬缶やかんの湯気の立のぼるを不思議そうに見送る。蝶々の飛ぶのを不思議そうに眺める。
漁師の娘 (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
大道の上に茣蓙ござを敷いて、その上に大小様々の金物、——金盥かなだらいやら、鈴やら、火箸やら、薬缶やかんやら、銭やら、鍵やら、ありとあらゆるものを並べ、薄茶色の粉で磨いて
彼女は左手にばけつをさげ、右手に湯気のもやもやたちのぼる薬缶やかんをさげて井戸端へいった。
誰が何故彼を殺したか (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
飲まなければいけない。お母さん、薬缶やかんを貸して下さい。私が井戸からんでまいります。
女神 (新字新仮名) / 太宰治(著)
マンは、薬缶やかんの水をふくむと、兄の顔に、プッと、吹きかけた。林助は、かすかに、眼をひらいた。顔は動かさず、横眼づかいに、じろりと、妹を見た。マンは、ぞっとした。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
竹が薬缶やかんを持って、急須きゅうすに湯を差しに来て、「上はすっかり晴れました」と云った。
独身 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
炉には、自在鉤じざいかぎに大薬缶やかんが懸けてあり、隅の空箱の上には、さん俵が敷いてある。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
火鉢の火が師走の夜風に煽られていれば黙って薬缶やかんをかけておく。
自在鉤じざいかぎには薬缶やかんが掛かり薬缶の下では火が燃えている。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
人々の供華くげ薬缶やかんなど持ちくれて
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
僕の失恋もにがい経験だが、あの時あの薬缶やかんを知らずに貰ったが最後生涯の目障めざわりになるんだから、よく考えないと険呑けんのんだよ。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
背向うしろむきになって小腰をかがめ、うばは七輪の炭をがさがさと火箸ひばしで直すと、薬缶やかんの尻が合点で、ちゃんと据わる。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
薬缶やかん土鍋どなべ類とは別にして、左の方の蒲団わきに、見なれない一冊の画帖のあることを認めました。
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
また配給の三合の焼酎しょうちゅうに、薬缶やかん一ぱいの番茶を加え、その褐色の液を小さいグラスに注いで飲んで、このウイスキイには茶柱が立っている、愉快だ、などと虚栄の負け惜しみを言って
禁酒の心 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「何しろ毒にてられたのが五人もある騒ぎで、その時は誰も側に居てくれません、——私はうようにしてお勝手へ参り、薬缶やかんと湯呑を持って来て、御新造さんに呑ませましたが——」
「お薬缶やかんのようにテラテラ光って——」
頭は薬缶やかんだがひげだけは白いと云えば公平であるが、薬缶じゃ御話しにならんよと、一言で退しりぞけられたなら、鬚こそいい災難である。運慶の仁王は意志の発動をあらわしている。
文芸の哲学的基礎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
薬缶やかんのお湯が、シュンシュン沸いている、あの音も聞えません。窓の外で、樹の枝が枯葉を散らしてゆれ動いておりますが、なんにも音が聞えません。もう、死ぬまで聞く事が出来ません。
水仙 (新字新仮名) / 太宰治(著)
あれでも万事整頓していたら旦那だんなの心持と云う特別な心持になれるかも知れんが、何しろ真鍮しんちゅう薬缶やかんで湯をかしたり、ブリッキの金盥かなだらいで顔を洗ってる内は主人らしくないからな
琴のそら音 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「そんな速度で、みんな禿げたら、四十くらいになれば、から薬缶やかんばかり出来なければならん。そりゃ病気に違いない。伝染するかも知れん、今のうち早く甘木さんに見て貰え」
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
明くる日は囲炉裏いろりふちに乗ったなり、一日唸っていた。茶をいだり、薬缶やかんを取ったりするのが気味が悪いようであった。が、夜になると猫の事は自分も妻もまるで忘れてしまった。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶やかんだ。その猫にもだいぶったがこんな片輪かたわには一度も出会でくわした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)