漁火いさりび)” の例文
空が曇っているので、海は暗く漁火いさりびも見えなかった。保馬の手はいしの肩を抱いた。いしの手は保馬の躯に巻かれていた。
いしが奢る (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「こないだうち、毎晩、なにをとっていたのか沖にずらりっと漁火いさりびが見えてね、ほんとにあの景色はきれいだった」
二つの庭 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
静かな庭に、松の影が落ちる、遠くの海は、空の光りにこたうるがごとく、応えざるがごとく、有耶無耶うやむやのうちにかすかなる、耀かがやきを放つ。漁火いさりびは明滅す。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
と、漁火いさりびの一つが、動き出した。静かに辷って行く灯を眼で追っていると、小さな浮島の陰に隠れてしまった。
ひとりすまう (新字新仮名) / 織田作之助(著)
ひだり、阪東太郎ばんどうたろうの暗面を越えて、対岸小貝川一万石内田主殿頭たのものかみ城下の町灯がチラチラと、さては香取、津の宮の家あかりまで点々として漁火いさりびのよう——。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
また眼を転じて此方を見ると、ちら/\と漁火いさりびのように、明石の沿岸の町から洩れる火影が波に映っている。
舞子より須磨へ (新字新仮名) / 小川未明(著)
沖の漁火いさりびを袖に呼んで、胸毛がじりじりに仰天し、やあ、コン畜生、火の車め、まだはええ、と鬼と組んだ横倒れ、転廻ころがりまわって揉消もみけして、生命いのちに別条はなかった。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
まだ月も出ず暗いので、能登の海に釣している海人あま漁火いさりびの光を頼りにして歩いて行く、月の出を待ちながら、というので、やはり相聞そうもんの気持の歌であろう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
月光が河のもやに溶けて朦朧もうろうとして、青黒い連山はおどり上った獣の背のように見え、遠くに漁火いさりびがきらめいているかと思うとまたどこからともなく横笛の音が哀れに聞える。
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
食後の三十分間を、皆は、むしろを拡げ、坑木に腰かけなどしてそれ/″\休んでいた。カンテラは闇の晩の漁火いさりびのようなものだった。その周囲だけを、いくらか明るくはする。
土鼠と落盤 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
沖の奥は真暗で、漁火いさりび一つ見えぬ。湿りを帯びた大きな星が、見え隠れ雲の隙をまたたく。
(新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
高い比良の山影がうつるふかい水底にもぐろうとするが、身をかくすこともむつかしく、夜ともなれば堅田かただ漁火いさりびにひとりでにひきよせられて近寄って行くのも、まるで夢心地でした。
伊豆の海は、いくさのせいか、漁火いさりびの影もない。先頃の暴風あらしも、嘘のようにぎている。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
箕輪みのわの奥は十畳の客間と八畳の中のとを打抜きて、広間の十個処じつかしよ真鍮しんちゆう燭台しよくだいを据ゑ、五十目掛めかけ蝋燭ろうそくは沖の漁火いさりびの如く燃えたるに、間毎まごとの天井に白銅鍍ニッケルめつきの空気ラムプをともしたれば
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
霎時しばらくにして海上を見渡せば、日はすでに没し、海波暗くして怒濤砂をき、遥か沖合には漁火いさりび二、三。我々はこのこうおわりてこの無限の太洋に面す。限りなき喜悦は胸にあふれて快たとえ難し。
灘遠く連れてまたたく漁火いさりびの風のこなたの月夜さざなみ
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
夜は沖に明滅する白魚舟の漁火いさりびも見えるのであった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
雲のみなと漁火いさりび
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
能登のとうみつりする海人あま漁火いさりびひかりにいつきちがてり 〔巻十二・三一六九〕 作者不詳
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
漁火いさりびがここ、かしこに、ちらついて、遥かの末は空に入って、星にけるつもりだろう。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
あとにはただ、寄せては返す潮騒が黒ぐろと鳴り渡って、遠くに松平肥後守様のお陣屋の灯が、漁火いさりびと星屑とのさかいに明滅めいめつしているばかり。女身を呑んだ夜の海はけろり茫漠ぼうばくとして拡がっていた。
沖釣の宵の夜ふけの漁火いさりびの繁く遥るけき憂世うきよなるかも
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
かくれ五三堅田かたた漁火いさりび五四よるぞうつつなき。