トップ
>
柳営
>
りゅうえい
ふりがな文庫
“
柳営
(
りゅうえい
)” の例文
しかし
柳営
(
りゅうえい
)
がわでは、仮病とみて、あくまで即日発向を
強
(
し
)
い、
遷延
(
せんえん
)
をゆるさぬのみか、こんどにかぎっては、いたく強硬なのである。
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
まず第一番に神尾喬之助を
捕
(
つか
)
まえて事を
質
(
ただ
)
し、
柳営
(
りゅうえい
)
である元旦である、喬之助に理があれば切腹、非ならば
極刑
(
きょくけい
)
に処さなければならない。
魔像:新版大岡政談
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
ただしその代わり毎年の元旦、選ばれた芸人が
柳営
(
りゅうえい
)
へ参り、祝儀の放歌を奏したものである。里人の性質は
剽悍
(
ひょうかん
)
で、義侠心に富んでいた。
剣侠受難
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
こうした感情の食い違いが、主従の間に深くなるにつれ、国政日に
荒
(
すさ
)
んで、越前侯乱行の噂は江戸の
柳営
(
りゅうえい
)
にさえ達した。
忠直卿行状記
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
永井播磨守と池田甲斐守が、大廊下を通って
柳営
(
りゅうえい
)
の
間
(
ま
)
へ行くと、老中
阿部伊勢守
(
あべいせのかみ
)
は待ちかねていたようにさしまねき、
寛濶
(
かんかつ
)
に顔をほころばせながら
顎十郎捕物帳:09 丹頂の鶴
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
▼ もっと見る
この猛悪な
貪慾漢
(
どんよくかん
)
は、主家を陥れて、現在の暴富を積んだにもかかわらず、なおこの上の希望として物産
用達
(
ようたし
)
の御用を、
柳営
(
りゅうえい
)
から受けたいのだった。
雪之丞変化
(新字新仮名)
/
三上於菟吉
(著)
天下の民みな
覇政
(
はせい
)
の
沢
(
たく
)
に沈酔し、一旅を以て天下を争わんとしたる
幾多
(
いくた
)
の猛将
梟漢
(
きょうかん
)
の子孫が、
柳営
(
りゅうえい
)
の
一顰
(
いっぴん
)
一笑
(
いっしょう
)
に
殺活
(
さっかつ
)
せられつつある際に、彼の
烱眼
(
けいがん
)
は、早くも隣国の形勢に注げり。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
御承知の通り、国主大名が殿中に於て
非業
(
ひごう
)
の死を遂げた場合には、家名断絶は
柳営
(
りゅうえい
)
の規則でございますから、伊達公のお通りがかりが無ければ、細川家は当然断絶すべき場合でございました。
大菩薩峠:34 白雲の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
何でも、きょうは
柳営
(
りゅうえい
)
の御礼日にあたるとかッてんで、両国橋は通れないので、本所一ツ目から深川へ入り、お船蔵前から永代橋を
大岡越前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
菊の間詰めのいわば末席ではありますが、
柳営
(
りゅうえい
)
でもなかなか羽振りがよく、皆、大老の気を兼ねて出羽守の言動には御無理ごもっともの一点張り
煩悩秘文書
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
そして、浪路が、公方の熱愛を振り捨てて、姿を隠してしまったとなれば、三斎一家に対する
柳営
(
りゅうえい
)
の気持が、どんなに変って来るかは、言うまでもないことである。
雪之丞変化
(新字新仮名)
/
三上於菟吉
(著)
「光殿、しかし困りましたよ。君尾の母はキリシタン信者。
柳営
(
りゅうえい
)
への恐れどうしたものかな?」
剣侠受難
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
柳営
(
りゅうえい
)
では
隠密役
(
おんみつやく
)
御法則をふんで、十年
御帰府
(
ごきふ
)
なき父上を死亡と見なし、権現様以来の
甲賀家
(
こうがけ
)
も遂に断絶の日が近づきました——
鳴門秘帖:01 上方の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ところは
柳営
(
りゅうえい
)
だ。時は元旦だ。あんな事件のあったのは、山城守の責任なのだ。
監督不行届
(
かんとくふゆきとど
)
きなのだ。よく切腹を仰せ付けられなかった。よく
閉門謹慎
(
へいもんきんしん
)
で済んだ。
魔像:新版大岡政談
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
一目で、雪之丞に、それが、
曾
(
かつ
)
て長崎で威を張った土部三斎と、当時、
柳営
(
りゅうえい
)
の大奥で、
公方
(
くぼう
)
の枕席に
侍
(
はべ
)
って
寵
(
ちょう
)
をほしいままにしているという、三斎の末むすめであるのをさとった。
雪之丞変化
(新字新仮名)
/
三上於菟吉
(著)
江戸
柳営
(
りゅうえい
)
より
遣
(
つか
)
わされた、
黒鍬組
(
くろくわぐみ
)
の隠密が、西丸様お
企
(
くわだ
)
ての秘密を探りに、当屋敷へ忍び込みましてござる! 生かして江戸へ帰しましては、お家の
瑕瑾
(
かきん
)
となりましょう! 曲者はここにおりまする
怪しの者
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
わけて、夜の物八番の作者は、佐々木道誉みずから筆をとったもので、彼はこれを「——
柳営
(
りゅうえい
)
お止メ芸」などと称していた。
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
現代
(
いま
)
で言う秘書課のようなところだから、わりに
若手
(
わかて
)
が多かったもので、ここで
柳営
(
りゅうえい
)
の事務を見習い、
才幹
(
さいかん
)
があると認められれば、それぞれ上の
役柄
(
やくがら
)
へ振り当てられて
魔像:新版大岡政談
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
柳営
(
りゅうえい
)
にあるときの光圀のすがたは、いつも柳営いっぱいに感じられたように、野にかくれるとその存在は、かえって日本中にある気がされる。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それも単に秘蔵の品というならばとにかく、
文照院様
(
ぶんしょういんさま
)
から拝領の
鬼女面
(
きじょめん
)
、年ごとの西之丸の
御能
(
ごのう
)
には、ぜひとも
柳営
(
りゅうえい
)
に持って
伺候
(
しこう
)
せなければならぬ
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「宗門役の御制度、切支丹屋敷の御設置などが開かれました
後
(
のち
)
ならば知らず、
柳営
(
りゅうえい
)
御創始当時には、左様な例もないとは限るまいかと存じられます」
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
勿論、三好家の
館
(
たち
)
までは、いつものような東国侍の
微行
(
しのび
)
すがたで、そこで式服に改め、室町の
柳営
(
りゅうえい
)
へ出向いたので、まったく誰も知らぬ会見であった。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いずれも
柳営
(
りゅうえい
)
の出入り自由で、将軍家と会う時も、笹の間かお
駕台
(
かごだい
)
とよぶ所で、
直問直答
(
じきもんじきとう
)
のならわしである。
鳴門秘帖:02 江戸の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
柳営
(
りゅうえい
)
に仕官の望みを絶って、
伝奏
(
でんそう
)
やしきの
半双
(
はんそう
)
の
屏風
(
びょうぶ
)
に、武蔵野之図を一
掃
(
そう
)
に描き残したまま、江戸の地を去った武蔵は、あれからどう道どりを取って来たか。
宮本武蔵:08 円明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「そうじゃ。ちょうどきょうは七の日にあたる。月に三度の御
開錠日
(
かいじょうび
)
。目安箱が
柳営
(
りゅうえい
)
へあがる日である、
午
(
うま
)
の
刻
(
こく
)
を過ぎぬうちに、急いでそれを入れてきてくれい」
鳴門秘帖:02 江戸の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「人手に渡っては一大事、あの洞白の鬼女面は、文昭院様から大殿が拝領した品、毎年
柳営
(
りゅうえい
)
のお
能
(
のう
)
には、ぜひ持って参らなければ将軍家へ申しわけの立たないことになる」
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いつか
柳営
(
りゅうえい
)
で、その旅のはなしが出た折、将軍家の問いにたいし黄門光圀が答えられたことばには、自分ほど世間を歩いていないものはない、東北では、将軍家のお供をして
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
柳営
(
りゅうえい
)
の大奥にすら、不良少女不良老女がたくさんにいる事実を江戸の人々は知っている。
大岡越前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「は。そのお町奉行が、只今、ご承知のとおり、御評定所の
月番
(
つきばん
)
にあたっており、また
柳営
(
りゅうえい
)
お目付も兼役しておりますので、ほとんど、町方の事件はてまえが任されております」
牢獄の花嫁
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
暢
(
の
)
ンびりした田舎においでられたから、江戸、
柳営
(
りゅうえい
)
などの、事情に精通されないのもご
尤
(
もっと
)
もじゃが、政治にも、裏と表があり、法の適用にも、そこは、手加減、
酌量
(
しゃくりょう
)
などがあって
大岡越前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「拙者も、
柳営
(
りゅうえい
)
の御書院番、富武五百之進です! 武士でござる! 娘が不浄役人に縄打たれて、屋敷から
拉致
(
らっち
)
されたとあっては、どの顔を下げて、公儀のご奉公がなりましょうや」
牢獄の花嫁
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
幾たびの
催促
(
さいそく
)
にも、将軍家の令を無視し、また、朝廷あることを知らず、皇居の御造営にも、一材の奉仕すらしておらぬ——しかも身は
柳営
(
りゅうえい
)
の
御相伴
(
ごしょうばん
)
衆として、
譜代
(
ふだい
)
、職にありまた
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
お錠番は評定所付きの
御小人目付
(
おこびとめつけ
)
、その日の正午に箱ごとピンとはずして、
柳営
(
りゅうえい
)
の奥坊主へ届ける、奥坊主はすぐこれを本丸の小姓
頭
(
がしら
)
の部屋にもちこみ、そこで御用取次の役人がついて
鳴門秘帖:02 江戸の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また政治的には、
柳営
(
りゅうえい
)
第一の
権臣
(
けんしん
)
柳沢吉保
(
やなぎさわよしやす
)
が、肚のそこから老公を憎んでいる
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
良人の正成は
小早川秀秋
(
こばやかわひであき
)
に仕えていたが、関ヶ原の役にやぶれて
牢浪
(
ろうろう
)
の果て、妻のお福は二代将軍秀忠の息竹千代の
乳人
(
めのと
)
になって
柳営
(
りゅうえい
)
にあがった。有名な老女
春日局
(
かすがのつぼね
)
はこの女性なのである。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
屡〻
(
しばしば
)
柳営
(
りゅうえい
)
に上って家光の法問に答え、恩寵年と共に厚きを加えて、遂に命に依って品川東海寺の開山第一世となっているが、最初、沢庵を将軍に推挙したのは柳生但馬だったといわれている。
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
柳営
(
りゅうえい
)
四門は、非常の
甲冑兵
(
かっちゅうへい
)
で、ごッた返しの状だった。
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“柳営”の意味
《名詞》
将軍がいる陣営。(組織としての)幕府。
将軍の居住地。
将軍、将軍家。
(出典:Wiktionary)
柳
常用漢字
中学
部首:⽊
9画
営
常用漢字
小5
部首:⼝
12画
“柳営”で始まる語句
柳営内
柳営日譜
柳営行事