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ふりがな文庫
“
旗下
(
きか
)” の例文
木村芥舟先生は
旧幕府
(
きゅうばくふ
)
旗下
(
きか
)
の士にして
摂津守
(
せっつのかみ
)
と称し時の
軍艦奉行
(
ぐんかんぶぎょう
)
たり。すなわち我
開国
(
かいこく
)
の後、徳川政府にて
新
(
あらた
)
に
編製
(
へんせい
)
したる海軍の
長官
(
ちょうかん
)
なり。
瘠我慢の説:05 福沢先生を憶う
(新字新仮名)
/
木村芥舟
(著)
信長の出発に際して之を危んだ
旗下
(
きか
)
の諸将多く、家康も必勝を期せず、子信康を岡崎に還らしめんとした位である。
長篠合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
看
(
み
)
よ、徳川氏
瓦解
(
がかい
)
に際し、
旗下
(
きか
)
の士にして、
御蔵元
(
おくらもと
)
に負債したる総高、
殆
(
ほと
)
んど一千万円に上りしというにあらずや。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
寺部へ寺部へと
驀
(
まっ
)
しぐらに前進するうちに、味方さえ知れぬほど迅速に、熱田街道から横道へ
外
(
そ
)
れて、そこに
潜
(
ひそ
)
んでいた松平元康の
旗下
(
きか
)
約四百の兵と
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
然
(
しか
)
りといえども勝氏も
亦
(
また
)
人傑
(
じんけつ
)
なり、当時幕府内部の
物論
(
ぶつろん
)
を
排
(
はい
)
して
旗下
(
きか
)
の士の
激昂
(
げきこう
)
を
鎮
(
しず
)
め、一身を
犠牲
(
ぎせい
)
にして政府を
解
(
と
)
き、以て
王政維新
(
おうせいいしん
)
の成功を
易
(
やす
)
くして
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
▼ もっと見る
天正十八年七月……北条の
旗下
(
きか
)
に属せし関八州の城々一カ所も残らず攻め落して、残るところはこの小田原一カ城……これを囲むところの関白秀吉の軍勢
大菩薩峠:26 めいろの巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
こゝに
信州
(
しんしう
)
の
六文錢
(
ろくもんせん
)
は
世々
(
よゝ
)
英勇
(
えいゆう
)
の
家
(
いへ
)
なること
人
(
ひと
)
の
能
(
よ
)
く
識
(
し
)
る
處
(
ところ
)
なり。はじめ
武田家
(
たけだけ
)
に
旗下
(
きか
)
として
武名
(
ぶめい
)
遠近
(
ゑんきん
)
に
轟
(
とゞろ
)
きしが、
勝頼
(
かつより
)
滅亡
(
めつばう
)
の
後
(
のち
)
年
(
とし
)
を
經
(
へ
)
て
徳川氏
(
とくがはし
)
に
歸順
(
きじゆん
)
しつ。
十万石
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
今
当時
(
とうじ
)
における外交の
事情
(
じじょう
)
を述べんとするに当り、
先
(
ま
)
ず
小栗上野介
(
おぐりこうずけのすけ
)
の人と
為
(
な
)
りより
説
(
と
)
かんに、小栗は
家康公
(
いえやすこう
)
以来
有名
(
ゆうめい
)
なる
家柄
(
いえがら
)
に生れ
旗下
(
きか
)
中の
鏘々
(
そうそう
)
たる武士にして幕末の事
瘠我慢の説:04 瘠我慢の説に対する評論について
(新字新仮名)
/
石河幹明
(著)
それはほぼ伊達氏の歴史と相伴ったもので、すなわち、
右大将源頼朝
(
うだいしょうみなもとのよりとも
)
の
旗下
(
きか
)
であった
非蔵人
(
ひくろうど
)
朝宗が、伊達氏の始祖であり、その二代、
常陸介
(
ひたちのすけ
)
宗村の代に、原田家の祖、与次郎がその家臣となった。
樅ノ木は残った:03 第三部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
悪いことはすすめぬから、いまのうちに
柴田家
(
しばたけ
)
の
旗下
(
きか
)
について、
後詰
(
ごづめ
)
の
援兵
(
えんぺい
)
をあおぐが、よいしあんと申すものじゃ
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また古来士風の美をいえば
三河武士
(
みかわぶし
)
の右に出る者はあるべからず、その人々について品評すれば、文に武に智に勇におのおの長ずるところを
殊
(
こと
)
にすれども、
戦国割拠
(
せんごくかっきょ
)
の時に当りて徳川の
旗下
(
きか
)
に属し
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
袁紹
(
えんしょう
)
の
旗下
(
きか
)
にいた者ですが、袁紹が洛陽以来の仕方を見るに、不徳な行為が多いので、ひるがえって、
公孫瓚
(
こうそんさん
)
こそは、民を安める英君ならんと、身を寄せた次第です。
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「これに連れて参りました侍は、佐々木六角殿の
旗下
(
きか
)
でも、かねて勇名の聞えていた日野城の
主
(
あるじ
)
、
蒲生賢秀
(
がもうかたひで
)
どの。——また、側にひかえているのは、
御嫡子
(
ごちゃくし
)
鶴千代
(
つるちよ
)
どのでございます」
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「われわれが、進んであの君の
旗下
(
きか
)
に
従
(
つ
)
いてきたのは、目ちがいでなかったな」
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、
旗下
(
きか
)
の人々が、令を伝えに出る。
幕
(
とばり
)
のうちは、同朋衆や小姓や
賄方
(
まかないかた
)
の者たちの動きで
和
(
なご
)
んだ。折ふしまた、近郷の社や寺々や庄屋などが、連れ立って、祝の酒と土地の産物などを
肴
(
さかな
)
に持ち
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「理窟は待て。兄上には、すでに、佐々木定綱に命じて、行家どのを討てとおいいつけなされたそうだが、義経は、情において、叔父御を討つに忍びない。——そういう兵馬は義経の
旗下
(
きか
)
にはない」
日本名婦伝:静御前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
文醜
(
ぶんしゅう
)
は、袁紹の
旗下
(
きか
)
で豪勇第一といわれている男である。
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そこで行き会った
劉玄徳
(
りゅうげんとく
)
とその
旗下
(
きか
)
の関羽、張飛たちも
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
曹仁
(
そうじん
)
の
旗下
(
きか
)
で、
淳于導
(
じゅんうどう
)
という猛将があった。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
時節到来、
旗下
(
きか
)
に参ぜよ
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
旗下
(
きか
)
に馳せつけよ。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“旗下”の意味
《名詞》
大将の旗の下。麾下。旗本。
(出典:Wiktionary)
旗
常用漢字
小4
部首:⽅
14画
下
常用漢字
小1
部首:⼀
3画
“旗下”で始まる語句
旗下勢
旗下衆