往還おうかん)” の例文
それから巳之助は池のこちら側の往還おうかんに来た。まだランプは、向こう側の岸の上にみなともっていた。五十いくつがみなともっていた。
おじいさんのランプ (新字新仮名) / 新美南吉(著)
なんといっても、紀州高野と河内との往還おうかんである。いざと二人が眼くばせ交わすと、そのたび、何か往き来の人影が邪魔にす。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
農婦は性急な泣き声でそういううちに、早や泣き出した。が、涙もかず、往還おうかんの中央に突き立っていてから、街の方へすたすたと歩き始めた。
(新字新仮名) / 横光利一(著)
と、いつになく、親身しんみに老人をなぐさめ、手をとって小村井の往還おうかんまで送ってやって、また、さっきの岸で釣糸をたれようとしていると、中川の下流から
顎十郎捕物帳:09 丹頂の鶴 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
九月下旬の夜寒よさむの風にふるえながら、往還おうかんの人の眼におびえながら、勝ち誇った関東方の軍勢や落ち行く敗兵の群がる街道を、幾日かかゝって上ったのであろう。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「あなた様は永い間往還おうかんをゆききしてござったが、あれはおそらく百日のあいだでござりましたな。」
玉章 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
聖武天皇の御代に、三野の國片縣かたあがたの郡、少川のまちに住んでゐた、百人力女が、前の犬に追はれた岐都禰きつね末裔まつえいだが、おのが力をたのんで、往還おうかん商人あきんどの物品を盜む。
春宵戯語 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
往還おうかんを距てた向うは前にちょっと控地が取ってある町役場で、格子縞の硝子窓が並んでおります。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
人通りのない小塚原こづかっぱら往還おうかんを、男女ふたりの影がならんでいそぐ——当り矢のお艶と蒲生泰軒。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
再び吉川町の往還おうかんへまぐれ出た時、加賀屋横丁を曲った両人ふたり連れの女ひとりが、どうやら小歌にまぎれがないようで、急いで自分もそこを曲ると、その女達は立花屋という寄席よせへ這入った。
油地獄 (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
自分はこの広い往還おうかんの真中に立ってはるか向うの宿外しゅくはずれ見下みおろした。その時一種妙な心持になった。この心持ちも自分の生涯しょうがい中にあって新らしいものであるから、ついでにここに書いて置く。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
自分の村の往還おうかんをぶらぶら歩きまわりながら、橋の下を覗いたり、溝板の下をうかがったりして、眼にとまったが最後——たとえそれが古靴の底だろうが、女の捨てた襤褸だろうが、鉄の釘だろうが
伊勢の国鈴鹿峠すずかとうげの坂の下からこっちへ二里半、有名な関の地蔵が六大無碍ろくだいむげ錫杖しゃくじょう振翳ふりかざし給うところを西へ五町ほど、東海道の往還おうかんよりは少し引込んだところの、参宮の抜け道へは近い粗末な茶店に
大菩薩峠:02 鈴鹿山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
桃子と往還おうかんのところでながいこと見ていた
貧しき信徒 (新字新仮名) / 八木重吉(著)
この往還おうかん、岡山から秀吉の石井山へも通じるし、日幡ひばたを越えて、小早川隆景の陣営、日差山ひざしやまへ行くこともできる道である。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それはまるで川の中に都市が出来たようで、町並や往還おうかんや、水の上とも思われません。それに一々灯が入り、瞬く煌めきで川は両岸ごとむず/\動いているように見えます。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
うなぎ畷の往還おうかんると、物ものしい御用提灯の灯が闇黒やみににじんで、ぐるりと長岡の屋敷をとりまいている捕手の勢……さてはッ! ここでも亦乱闘を余儀なくされる、と
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
細い岬廻みさきまわりの往還おうかんがあった所だが、荒天の日には道も洗われ、上からは絶壁の石コロなども落ちてくるので、極楽寺坂の切り通しが成ると同時に
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
世の往還おうかんからへだたることわずかであるが、冬は気温がひくく土地は痩せているために、かえって山水は清美であり、人は素朴で、言語や風俗のさまにも
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
往還おうかんの商人や旅客は、いやでも安土で一泊したくなるように、あらゆる運輸の便宜と、経済の利と、旅情をなぐさめる慰楽の設けを、ここだけに許してある。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「海路の便もよし、うしろは書写山、増位山を負い、城下の河川、街道の往還おうかん、申し分はありません」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
往還おうかんに立ちよる客は常に多いが、この泊り客へも、歓待いたらざるなく、きのう今日、道誉が不在中には、遊女めいた女たちがあるじに代って、客の不聊ぶりょうをなぐさめていた。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊賀から河内の金剛山へは、桜井や高市たけちあたりの駅路うまやじも通るが、ほぼ山づたいに往還おうかんできる。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その頃、坂東地方から京都への往還おうかんには、東海道と東山道の二道が動脈となっていた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
のろのろと往還おうかんする牛飼うしかい、野菜車、馬子まご、旅人、薬師詣やくしもうでの人たちの中に交じッて、平坦へいたんな街道を歩みながら、その懐中絵図ふところえずをひろげて見ましたが、高麗村という名は見当らない。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このへんを往還おうかんするので、すさびた軒の人々は、剣槍けんそうを見ても、驚くなどのふうはなく、かえって、よいお花客とくいとして、蠅のように、酒売りの男どもや、籠を頭にのせたひさなどが
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
往還おうかんのたびごと、どうも眼についてならないのである。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)