寄進きしん)” の例文
いかにも殊勝な申し分であるので、諸人はいよいよ仏陀の示現と信じるようになって、檀家の布施ふせ寄進きしんが日ましに多くなった。
なにしろ寄進きしんかねで、できるのだそうだから、このまち工場こうじょうでも、職工しょっこうにいいつけて、ねんをいれてつくっているということだ。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
からだはせわしいおかげでますます健固けんご、また、諸侯しょこう寄進きしんのおちからで、どうやらわしの寝所ねどこもこのとおりできかかっている」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「斯うやってゴカイを寄進きしんについても中に鉤が仕込んであります。人間相手にこんなことをやったら直ぐに縛られましょう」
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
○さて口上いひ出て寺へ寄進きしんの物、あるひは役者へ贈物おくるもの、餅酒のるゐ一々人の名をあげしなよび披露ひろうし、此処忠臣蔵七段目はじまりといひてまくひらく
それゆゑにこれ異變いへんがあるたびに、奉幣使ほうへいしつかはして祭祀さいしおこなひ、あるひ神田しんでん寄進きしんし、あるひ位階いかい勳等くんとうすゝめて神慮しんりよなだたてまつるのが、朝廷ちようてい慣例かんれいであつた。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
神馬を彫らせて日光御廟に寄進きしんしたいと、てまえ主人柳生対馬守が思いたたれたのですが、馬の彫刻といえば、誰しもただちに頭に浮かぶのが、この作阿弥殿。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
其れが果てると、余は折詰おりづめ一個をもらい、正宗まさむね合瓶ごうびんは辞して、参拾銭寄進きしんして帰った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
もとよりこの尼御前あまごぜたちは在家ざいけの尼たちであるが、送られた手紙は、文章も簡潔で實に好い。それよりもよいのは、寄進きしんされた品目ひんもくをいつも頭初はじめに書いて、感謝してゐる率直な表現だ。
普通のお寺のことはよく知りませんが、寄進きしんなどでも、仲々派手にやりますね。よくまあ惜し気もなくあんなに納められたもんだと、私の様な無信仰のものには不思議に思われる位ですよ。
盗難 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
武門ぶもん氏神うぢがみあがめ奉つる事世の人の皆知る處なれば爰に贅言ぜいげんせず因て當時將軍家より社領しやりやう一萬石御寄進きしんありかゝる目出度御神なれば例年八月十五日御祭禮のせつ放生會はうじやうゑの御儀式ぎしきあり近國きんごく近在きんざいより其日參詣なす者數萬人及び八幡山崎淀一口其近邊は群集ぐんじゆ一方ならずよどの城主稻葉丹後守殿より毎年まいねん道普請みちぶしん等丈夫に申付られ當日は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
僕の先祖もこの明神に華表とりい寄進きしんしたということが家の記録に残っているから、江戸時代までも相当に尊崇されていたらしい。
こま犬 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
信玄公しんげんこうのご在世ざいせいまで、代々だいだい武田家たけだけより社領しゃりょうのご寄進きしんもあったこの山のことゆえ、もしや、ご承知しょうちもあろうかと、おうかがいにでましたしだいで
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
○さて口上いひ出て寺へ寄進きしんの物、あるひは役者へ贈物おくるもの、餅酒のるゐ一々人の名をあげしなよび披露ひろうし、此処忠臣蔵七段目はじまりといひてまくひらく
悉皆さらって行ってしまうのは。つまり私達は上ったの下ったのと言って、交叉点の信号のように赤くなったり青くなったりしながら、大勢がかりで成金のために寄進きしんについているんです
勝ち運負け運 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
「いらざること。このわしこそ、勝頼公かつよりこうのみから当山に寄進きしんされてあるものだ! どうしようとこなたのかってだ」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足利あしかがの町へ縁付いている惣領娘そうりょうむすめにもいくらかの田地を分けてやった。檀那寺だんなでらへも田地でんぢ寄進きしんをした。そのほか五、六軒の分家へも皆それぞれの分配をした。
籠釣瓶 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
護持院の七堂伽藍がらんは、彼女が黄金にあかせて、寄進きしんしたものである。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)