兄弟はらから)” の例文
宗矩は、さっきからそれを怪しんでいたが、老人も兄弟はらからも、五郎右衛門については、一言も触れないので、とうとう訊ね出したのである。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このころよりかれが挙動ふるまいに怪しき節多くなり増さりぬ、元よりかれは世の常の人にはあらざりき。今は三十五歳といえど子もなく兄弟はらからもなし。
おとずれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
生々しょうじょう父母ぶも世々せぜ兄弟はらからのことごとく成仏してしかして後に我れ成仏せん、もし一人いちにんを残さば、われ成仏せずと、地蔵菩薩もお誓いになりました。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
たゞ心すゞしく月日経ばやなどと思ひたることは幾度と無く侍り、むつぶべき兄弟はらからも無し、語らふべき朋友ともも持たず、何に心の残り留まるところも無し
二日物語 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
おのれは俸禄ほうろくに飽きたりながら、兄弟はらから一属やからをはじめ、六七みおやより久しくつかふるものの貧しきをすくふわざをもせず、となりにみつる人のいきほひをうしなひ
その兄をりて、「一つには天皇にまし、一つには兄弟はらからにますを、何ぞは恃もしき心もなく、その兄をりまつれることを聞きつつ、驚きもせずて、おほろかに坐せる」
盡し兄弟はらからなかむつましく兄は弟を思ひ弟は兄を尊敬うやまひ日々にち/\農業のうげふ耕作かうさく油斷ゆだんなくせいを出しひまある時は山に入てたきゞこり或ひは日雇ひよう走り使ひ等に雇はれ兩人とも晝夜を分たずかせぎて親半左衞門を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
⦅南無三! 生みの兄弟はらからとも、思ふ友がこの我に、槍を向けるとは口惜しや!……あな、兄弟はらからよ、我が友よ! 宿世の縁とあるからは、たとへこの身はその槍の、錆と消えんも詮なけれ。
父も母も兄弟はらからも友も、はた見知らざる人々をも忘れて
そがために小さき兄弟はらから
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
「おまえは、他人の眼で、また他人の感情で、ひとり無念がっているが、鎌倉殿と義経のあいだは、切れない血と愛情でつながっている兄弟はらからだぞ」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また「汝が兄弟はらからありや」と問ひたまへば答へ白さく、「我が姉石長いはなが比賣あり」とまをしたまひき。
本朝に儒教をたふとみてもは王道わうだうたすけとするは、菟道うぢきみ百済くだら七六王仁わにを召して学ばせ給ふをはじめなれば、此の兄弟はらからきみ心ぞ、やが漢土もろこしひじりの御心ともいふべし。
襁褓むつきの中よりちち兄弟はらからにわかれ、七ツの頃、母の手からもぎ去られ、ようやく、兄君とも会って、平家を討ったと思うもつかの間、兄たる御方から兵をさし向けらるるとは
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
皇朝くわうてうの昔、七〇誉田ほんだの天皇、兄の皇子みこ七一大鷦鷯おほさざききみをおきて、すゑ皇子みこ七二菟道うぢきみ七三日嗣ひつぎ太子みことなし給ふ。天皇崩御かみがくれ給ひては、兄弟はらからゆづりて位にのぼり給はず。
かれこの大國主の神の兄弟はらから八十やそましき。然れどもみな國は大國主の神にりまつりき。
もう六十になる兄の盛綱と、五十という人生を越えてきた弟の四郎高綱と、二人は、幼少ごろの兄弟はらからの血をそのまま覚えて、いつまでも、抱き合っていた。やがて——
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
母も雲——父も雲——兄弟はらからも友達も雲よりしかないと思っているような——孤児のい立ちの中に、いつのまにか、はぐくまれていた、この冷たさに違いない。——又八はそう思った。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……兄はすでに群臣の上にある顕然けんぜんたる時の盟主。兄の一指一べんは、世をうごかすものだ。たとえ兄弟はらからなればとて、ゆめれてはならぬ。私の情愛をもって、兄の大志をみだしてはならない。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(——やはりそうした兄弟はらからたちが、幾歳いくつになっても、恋しいのであろうな?)
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大府大番頭だいふおおばんがしらの家名をけがすまいとおもい、また私の両親や兄弟はらからたちにき目を見せたくないばかりに、恋を捨て武士を捨て、血もなみだもない懦夫だふとなり終っていたが、今こそ、岐路きろに立った弦之丞は
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)