人音ひとおと)” の例文
おれは時々こんな空想を浮べながら、ぼんやり往来わうらい人音ひとおとを聞いてゐる。が、いつまでたつても、おれの所へは訪問に来る客がない。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
ばた/\と馳來はせくる人音ひとおとに越前守せがれしばしと押止おしとゞめ何者なるやと尋ぬれば紀州よりの先觸さきぶれと呼はりける越前守是を聞き先觸さきぶれ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
かくてやや一里を出でし頃ほひ、東天ようやくれないならむとする折しもあれ、うしろの方に当つて人音ひとおとおびただしく近づき来るものあり。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
日本アルプスのふもとの、ほとんど人音ひとおと絶えた雪の中で、よし温泉場とはいいながら、不意に太棹の音を聞かせようなんぞとは、心憎いいたずらには相違ない。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
弁当べんたう、ものうりこゑひゞくと、人音ひとおとちかく、けたとおもふのに、には、なにも、ものがえない。
続銀鼎 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そゝいでぎられしあとまた人音ひとおとこのたびこそはとれげなさけなし三軒許さんげんばかり手前てまへなるいへりぬ
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
あさしま御門みかどにおぼほしく人音ひとおともせねばまうらがなしも 〔巻二・一八九〕 同
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
おれの家の二階の窓際には、古ぼけた肱掛椅子ひぢかけいすが置いてある。おれは毎日その肱掛椅子ひぢかけいすへ腰をおろして、ぼんやり往来わうらい人音ひとおとを聞いてゐる。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
して呉れろと云棄いひすて追駈おつかけく此掃部と云ふ者はもとより武邊ぶへんの達者殊に早足なれば一目散に追行おひゆく所に重四郎は一里餘りも退のひたりしがうしろより駈來かけくる人音ひとおと有り定めて子分の奴等が來る成らんと深江村ふかえむらの入口に千手院せんじゆゐんと云ふ小寺有り住持ぢうぢは六十餘歳の老僧にて佛前に於て讀經つとめ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
十一時半の教官室はひっそりと人音ひとおとを絶やしている。十人ばかりの教官も粟野さん一人を残したまま、ことごとく授業に出て行ってしまった。
十円札 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
人音ひとおとも全然聞えなかつた。唯耳にはひるものは連日の雨の音ばかりだつた。雨は見えない屋根の上へ時々急に降り注いでは、何時いつか又中空へ遠のいて行つた。
お富の貞操 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
あたりは庭木のそよぎの中に、かすかな草のらせている。一度ずっと遠い空に汽船のふえの響いたぎり、今はもう人音ひとおとも何もしない。あの汽船はとうに去ったであろう。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
するとそのほのあかるい水の底に、黒金くろがねの鎖を巻いたような何とも知れない怪しい物が、じっとわだかまって居りましたが、たちまち人音ひとおとに驚いたのか、ずるりとそのとぐろをほどきますと
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
が、あたりを見廻すと、人音ひとおとも聞えない内陣ないじんには、円天井まるてんじょうのランプの光が、さっきの通り朦朧もうろう壁画へきがを照らしているばかりだった。オルガンティノはうめき呻き、そろそろ祭壇のうしろを離れた。
神神の微笑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)