下僕げぼく)” の例文
って十人の下僕げぼくやしなうことあたわず。これを省きて漸くその日その日を過すのみに至る。これ武家の禄法を察知する一端というべし。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
ヘイライとは、雑色ぞうしき下僕げぼく小者こもの)たちがかぶっている平折ひらおりの粗末な烏帽子えぼしをいうのである。“平礼へいらい”と文字では書く。
いろ/\のあつ待遇もてなしけたのちよるの八ごろになると、當家たうけ番頭ばんとう手代てだいをはじめ下婢かひ下僕げぼくいたるまで、一同いちどうあつまつて送別そうべつもようしをするさうで、わたくしまねかれてそのせきつらなつた。
下僕げぼくをはじめ家人らは、先刻さっき戸締りを済まして、今はもう銘々めいめいの部屋へ退さがったあと。武家屋敷は夜が早い。今ごろ、この玄蕃の座敷の近くを、人の歩くはずはないのだ。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
その事件はセライ・アムチーの住んで居った家の前大蔵大臣及び大臣の官邸に在る老尼僧、それからその下僕げぼくの大臣に最も親しくして居った者一人がつかまって下獄された。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
いまはもう二人の忠義な下僕げぼくになりすまして、納屋へ食事を持ちはこぶやら、はえを追うやら、くしでお蘭のおくれ毛をき上げてやるやら、何かと要らないお手伝いをして
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そうした夫婦の会話は女中や下僕げぼくにはもちろんのこと、子供たちにさえもよく解らなかった。
彼は二十九歳になるがまだ妻をめとらない。両親は亡く、古くからいる家扶かふ下僕げぼくらとくらしながら、いつとなく側女そばめのような者を引入れ、子供まであるという噂も伝わっていた。
改訂御定法 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
御者ぎょしゃ下僕げぼく先乗さきのりが、——そうです、先乗りまでがいたんですよ——みんな、金の冠をかぶって、ひかえていました。王子と王女は、ゲルダをたすけて馬車に乗せてくれました。
「おお神様、あなたの哀れな下僕げぼくめぐみをおれ下さいまし」
空気男 (新字新仮名) / 海野十三丘丘十郎(著)
時に正徳四年ふゆ十二月義士十三回忌くわいきの時に當り庄左衞門は下僕げぼくの爲に切殺されしはしかも大石より與へられし則光の刀なりと小山田が不義ふぎてんなんゆるし給はんや又直助は御尋ね者となり近き頃まで諸所の關所に直助が人相書にんさうがきりしを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
下僕げぼく走り出迎へ花の荘
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
一方ではかの下僕げぼく出来六できろくをここへ追い込み、贋金作りの闇七にも必要な位置を与えた。——かの下松さげまつにおける成木持助の出現のごとく、ここでもまた彼は重要な役割を果たすに違いない。
ただひとりだけ、藤枝ふじえだの在から奉公に来ていた下僕げぼく六兵衛ろくべえが、目付役とともに島田の宿しゅくまで送ってきた。かれは美濃までの供をねがってきかなかったけれど、みよはかたく拒んでゆるさなかった。
日本婦道記:箭竹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)