鳳輦ほうれん)” の例文
勅使をさえかしこがりて匍匐はらばいおろがむ彼をして、一たび二重橋下に鳳輦ほうれんを拝するを得せしめざりしは返すがえすも遺憾いかんのことなり。
曙覧の歌 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
還幸の鳳輦ほうれんをはなやかに百官の囲繞いにょうして行く光景が、物の響きに想像される時にも、太后は過去の御自身の態度の非を悔いておいでになった。
源氏物語:21 乙女 (新字新仮名) / 紫式部(著)
それは、後醍醐が、泣きしずむ群臣の背にお目をとじて、きざはしを一ト段、ふた段……と下の鳳輦ほうれんへ降りかけられたときだった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その月の上旬に上方かみがたには騒動が起こったとか、新帝が比叡山ひえいざんへ行幸の途中鳳輦ほうれんを奪い奉ったものがあらわれたとかのたぐいだ。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
今や彼女は俄かに其五彩の鳳輦ほうれんを進めて、鵬程万里の極、我が日出じつしゆつの宝土に来らざるべからずなれり。世界外交の中心は既に欧洲より動き去れり。
閑天地 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
厨子ずしは、木瓜ぼけ厨子、正念しょうねん厨子、丸厨子(これは聖天様を入れる)、角厨子、春日かすが厨子、鳳輦ほうれん形、宮殿くうでん形等。
他に三位中将知盛、頭中将重衡などが鳳輦ほうれん御綱みつな供奉ぐぶして、ひときわ華やかさを競ったものであった。
あらはに鳳輦ほうれんじゆんを為す
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
約束によって、鳳輦ほうれんをお迎えに出ていた直義ただよしの軍勢は、九日のまる一日、法勝寺ノ辻で待ちくたびれていた。ひるごろ
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二重橋の外に鳳輦ほうれんを拝みて万歳を三呼したる後余はまた学校の行列に加はらず、芝のなにがしやかたの園遊会に参らんとて行く途にて得たるは『日本』第一号なり。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
きれいな身なりをして化粧をした朝臣あそんたちをたくさん見たが、のお上着を召した端麗な鳳輦ほうれんの中の御姿みすがたになぞらえることのできるような人はだれもない。
源氏物語:29 行幸 (新字新仮名) / 紫式部(著)
途中に鳳輦ほうれんを押しとどめるものもあるやの流言もしきりに伝えられる。東山道方面にいて宿駅のことに従事するものはそれを聞いて、いずれも手に汗を握った。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
天皇を兵庫の御道筋おみちすじまで御迎え申し上げたその時の有様を形にしたもので、おそれ多くも鳳輦ほうれんの方に向い、右手めて手綱たづなたたいて、勢い切ったこま足掻あがきを留めつつ
主上も鳳輦ほうれんに乗られ、急いで池のほとりまで出御になり、法皇は南庭に幕を打ち廻して避難なさった。女院、各宮方も車にお召しになり、それぞれ安全なところへ避難された。
大原野で鳳輦ほうれんとどめられ、高官たちは天幕の中で食事をしたり、正装を直衣のうしや狩衣に改めたりしているころに、六条院の大臣から酒や菓子の献上品が届いた。
源氏物語:29 行幸 (新字新仮名) / 紫式部(著)
石清水いわしみず行幸のおりにすでにそのうわさのあった前侍従中山忠光を中心とする一派の志士が、今度の大和行幸を機会に鳳輦ほうれんを途中に擁し奉るというような風説さえ伝えられた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
留守の義詮は、畿内きないの兵で充分討てる。それに先だって、後村上天皇は賀名生あのう行宮あんぐうを立たれ、都へ還幸の鳳輦ほうれんをすすめる。等々、親房の指令は、九州にまでおよんでいた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あれほど心頼みにした天満天神の注連しめとも別れるのは心細く、行先に不安の念を抱く者は多い。天皇は粗末な腰輿ようよを召された。輿こしをかつぐ者もないのである。葱花そうか鳳輦ほうれんとは名ばかりであった。
と、堂々たる行装がすすめられたため、鳳輦ほうれんが用いられ、全公卿、全武士の供奉ぐぶとなって——
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
国事寄人こくじよりうどとして活動していた侍従中山忠光ただみつは官位を朝廷に返上し、長州に脱走して毛利真斎もうりしんさいと称し、志士を糾合きゅうごうして鳳輦ほうれんを途中に奪い奉る計画があるというような、そんな風説も伝わったとある。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そして鳳輦ほうれん(みくるま)のすぐあとにつづく近衛このえ儀仗ぎじょうには、足利高氏、直義ただよしの兄弟があたり、さらに赤松円心の千余騎、土居得能とくのうの二千、結城ゆうき、長沼、塩冶勢えんやぜいなどの数千騎が
みかどには御祈願のため、すでに加茂かもへ行幸せられ、そのおりは家茂および一橋慶喜以下の諸有司、それに在京の諸藩士が鳳輦ほうれん供奉ぐぶしたことが報じてあり、さらに石清水いわしみずへも行幸のおぼし召しがあって
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
元々、ここにあった三種の神器は偽物と知れているので、扱いもぞんざいをきわめ、駕輿丁かよちょうの小者や武士らが鳳輦ほうれんで無造作にかついで行った——と公賢自身の日記にも書かれている。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御祈願のため洛外らくがい鳳輦ほうれんを進められたという。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ところが鳳輦ほうれんが八幡に着くと同時に、およそ七、八千騎の軍勢がどこからともなく来て、夜のうちに洛外をうずめ、それらが一せいに旗手はたでを解いて朝空にひるがえしたのを見れば、北畠顕能あきよし
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きょうの五月五日も、みな、生きの身のかんをつくして暮れ——ほどなく加茂の葉桜のうえに、夕月を見るころ、主上の鳳輦ほうれんも、上皇の御車も、れきろくと、群臣の車馬をしたがえて、還御となった。
で、一時、鳳輦ほうれん
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)