隼人はやと)” の例文
日本紀に隼人はやとを狗人と云った事に比較しておいたが(五巻一号二三頁)、今にして思うに、穿鑿やや足らなかった感がないでもない。
逆手さかてにとって万吉がパッと立った。お綱が蝶のように飛び離れると一緒に、三次、隼人はやとためなども、腰を立てて凶猛な気配りになる。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これらは、甲府城の城代、柳沢隼人はやとに引渡されたが、他の者は(二三の条件付きで)二十日ほどのちに釈放され、騒ぎはおさまった。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
小兵衛出でて「薩摩隼人はやとをして快く一死を遂げしめるのは利秋である。また薩摩隼人をして一世を誤まらしむるものも利秋である」
田原坂合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
われわれがまだこの花をえて賞美しなかった時代から、すでにこの付近の天然を占拠したこと、たとえば熊襲くまそ隼人はやとのごときものであったろう。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
多くの薩摩隼人はやとらが政府の要路に立つものに詰問の筋があると唱えて、ついに挙兵東上の非常手段に訴えたために、谷干城のごときは決死の敵を熊本城にくいとめ
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
だが、それよりも、もっと大きいのは、金で動いている請負仕事で、一木以下の六人が隼人はやとの面目をかけて、対手を討とうとするのと、その態度においてちがっていた。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
そこで今に至るまで隼人はやとはその溺れた時のしわざを演じてお仕え申し上げるのです。
時は涼秋りょうしゅうげつ、処は北海山中の無人境、篝火かがりびを焚く霜夜の天幕、まくそとには立聴くアイヌ、幕の内には隼人はやと薩摩さつま壮士おのこ神来しんらいきょうまさにおうして、歌ゆる時四絃続き、絃黙げんもくす時こえうた
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
日本でも大阪城の城壁に後藤又兵衛と薄田隼人はやととが、さしでかついで来たといひつたへられてゐる大石があるが、その隼人の末裔にあたる自分が、一寸さはつた位では、なか/\動きさうになかつた。
とほき昔の隼人はやと等を。
山羊の歌 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
その一喝いっかつこそ、塙隼人はやとの壮年時代から、鍛えぬかれたところである。「悪の仲間」をして戦慄せしめた、威力と正義の宣言である。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
隼人はやとをやるつもりだ、と甲斐は答えた。これからも打合せをしなければならぬ事があると思うが、そのときどうやって連絡したらいいか。
そしてその妹か姉かは、桓武天皇の妃ともなっておられます。このほか支那人の名家は甚だ多く歴史に見えております。隼人はやと出の名家も少くはありますまい。
その勢三千、謙信の旗本も、猛然之をむかえて邀撃し、右の方望月隊及び信玄の嫡子太郎義信の隊も、左備ひだりそなえの原隼人はやと、武田逍遙軒も来援して両軍旗本の大接戦となった。
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
三二 千晩せんばだけは山中にぬまあり。この谷は物すごくなまぐさのするところにて、この山に入り帰りたる者はまことにすくなし。昔何の隼人はやとという猟師あり。その子孫今もあり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
スミノエノナカツ王に近く仕えているソバカリという隼人はやとあざむいて
阿波を手におさめた長曾我部は、つづいて讃岐の三好隼人はやとをやぶり、さらに伊予に入って河野こうの党を討ち、ついに四国全島をしたがえたのである。
だんまり伝九 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
使者の用向きは、今度の上杉討伐に、三成の子息隼人はやとも従軍することになっていたので、それを誘いあわすためであった。
大谷刑部 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また九州の隼人はやとだとて、帰化の支那人だとて、朝鮮人だとて、皆そうであります。坂上田村麿がよしやアイヌの出であったとしても、彼は支那人の子孫だと自ら名告なのっておりました。
秀吉、生駒親正ちかまさ、木村隼人はやとを天王山方面に増援して、横槍についてかからせた。
山崎合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
大人は九州の南部では、大人弥五郎と称し、また大人隼人はやとなどともいっている。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
はいって来たのは片倉隼人はやとで、うしろに与五兵衛がいた。二人は戸口で雪帽子や蓑をぬぎ、それらを板壁に掛けてから、こちらへ来て挨拶をした。
長坂長閑ながさかちょうかん、穴山伊豆、飯富おぶ兵部、山県やまがた三郎兵衛、内藤修理、原隼人はやと、山本勘介入道道鬼など、誰を、眼に求めていいか、ちょっとまどうほどである。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甲斐が大町の屋敷へ帰ると、片倉隼人はやとが「涌谷わくやから密使が来ている」と告げた。甲斐は頷いて、風呂へはいる、と云い、そのまま居間のほうへいった。
裾花川すそはながわ辿たどって、長野、善光寺方面へ、大物見に行っていた山県三郎兵衛、原隼人はやとなどの隊が帰って来て
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ちょうど同じころ、酒井邸では、——雅楽頭の常居の間で、河内守忠挙こうちのかみただたかと、家老の関主税と高須隼人はやと、松平内記ら四人が、雅楽頭の話しを聞いていた。
しかし今はるより斬れの場合として、抜くやまたたく由造をぎ、浪人者の隼人はやとの腕を斬り落した。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
船岡からは、家老の片倉隼人はやとと、少年の辻村又之助が来ており、帰国祝いの招宴には、津田玄蕃げんばが周旋をした。
同志のひとり三原隼人はやとが、忍び上手なので、城壁をこえてまぎれ入り、城中北曲輪きたくるわの天神池のそばにある主君の獄舎まで、内外の連絡をとるために行くことになった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いってみればわかるさ」八木隼人はやとがまじめな顔で云った、「——笈川の勘定奉行は近来にない抜擢ばってきだからな、国許ではきっとてぐすねをひいて待っているぜ」
いさましい話 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
御子息の隼人はやと、同道のつもりでございましたが、お察しの通り、治部におかれましても、少々、存念ぞんねんがござりまして、それに就き、この佐和山の近くを御通行は、またとない折
大谷刑部 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのときの側用人は矢橋隼人はやとといい、たいへんな酒豪で、家でも役所でも酒を側から離さない。いつも飲んで、あかい顔をして、そうして坐って居眠りをしていた。
百足ちがい (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
弟の又十郎も起きる、稲田大炊おおいも起きる、梶田隼人はやと、長井半之丞らも起きあがる。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
玄関には只野内膳がいて、甲斐を接待に案内し、そこで少し待ってから、家老の新妻隼人はやとが奥へ導いた。
「おくれもあるまいが、隼人はやとの手勢のみではちと不足。千秋千秋。そちも行け」
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まだ傷養生をしているそうで、松山(茂庭家)の葬儀には、家老の片倉隼人はやとがまいりました。
九郎右衛門と隼人はやとは、せそうな女たちの間から、茶亭のうちを覗いた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その知らせは、船岡にいる家老の、片倉隼人はやとから来た。手紙は詳細に事実を伝えていたが、甲斐をおどろかせたのは、その争いの中に、わが子の帯刀たてわきが加わっていることであった。
武田信廉のぶかど、原隼人はやと、内藤修理、菅沼刑部すがぬまぎょうぶなどの隊が見うけられ、左翼にも三千あまり武田信豊、山県昌景まさかげ、小山田信茂、跡部勝資あとべかつすけなどの旗幟はたじるしが望まれ、また、右翼としては、穴山梅雪、馬場信房
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
国許くにもとには老母と、長男の采女宗誠うねめむねもとがいる、留守家老は片倉隼人はやとであるが、みな丈夫で変りがない、采女は来年十五歳になると元服する筈なので、いまからそれをたのしみにしている
重臣の長井隼人はやとが側についている。これが三好松永の敗残軍と結んで
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まもなく岩橋隼人はやとという用人が来て、巻紙に書いたものを差出した。
佐々隼人はやとが、そういった声を目あてに
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「婚約の期間があまりに長すぎたし、厩橋侯の意中がだんだん計りかねるようになった、隼人はやとも知っているように、初め侯は、一万石ばかりの小大名を縁類にもつつもりはない、と云っておられた」
朝田隼人はやとが江戸から帰るとすぐに、小池帯刀たてわきが訪ねて来た。
ちくしょう谷 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「誰だ、隼人はやとか、まいれ」