金谷かなや)” の例文
さて、また、彼の金谷かなやおきせさん(東雲師末の妹)は良人没後再嫁し、娘が出来ました。その娘が金物商かなものしょう中山家へ縁附きました。
ソコデもって中津の有志者すなわち暗殺者は、金谷かなやう処に集会をもよおして、今夜いよ/\しまに押掛けて福澤を殺すことに議決した、その理由は
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
こんなことを話し出しているうちに、金谷かなやから新坂しんざかへ二里、新坂から掛川かけがわへ一里二十九町、掛川から袋井ふくろいへ二里十六町。
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
どなたも御承知でしょうが、東海道の大井川、あの川は江戸から行けば島田の宿、上方から来れば金谷かなやの宿、この二つの宿しゅくのあいだを流れています。
半七捕物帳:47 金の蝋燭 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
もっともしゃべったのは、金谷かなや先生と四人の少年探偵の級友と、それからここにいる牛丸君だけにではあったが……。
少年探偵長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
すなわち一軍は、西大川、真可上まかがみ和気わけ金谷かなやを経て三石みついしに至る旧道をすすむ。また一軍は、国府市場、沼、長船おさふねを通って西片上に出、三石に合する。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
金谷かなや隧道ずいどう長くて灯をとぼしたる、これは昔蛇の住みし穴かと云いししれ者の事など思い出す。静岡にて乗客多く入れ換りたれど美人らしきは遂に乗らず。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
……此世は常のすみかに非ず、草葉に置く白露、水に宿る月より猶怪し、金谷かなやに花を詠じし栄華は先立さきだって、無常の風に誘はるゝ、南楼の月をもてあそやからも月に先立て有為の雲に隠れり。
桶狭間合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
うばは金谷かなや長者という大家の乳人めのとで、若君の咳の病がなおるように、この家の傍の石の地蔵様に祈り、わが身を投げて主人の稚児の命に代った、それでその子の咳が治ったばかりか
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
大夫たいふ、何処へ行ってもどうも別にこれぞと云うまぶな仕事もなく、東海道金谷かなやの寺で大妙寺だいみょうじと申すは法華宗の大寺で、これへ這入って金八百両取ったが、の寺にしては存外有りましたが
しかも風さえ加って松籟しょうらいものすごく、一行の者の袖合羽そでがっぱすそ吹きかえされて千切れんばかり、うようにして金谷かなやの宿にたどりつき、ここにて人数をあらため一行無事なるを喜び、さて
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
男達おとこだて梅の由兵衛古主こしゅうの息子金谷かなや金五郎に、その情婦にて元は由兵衛の古主にちなみある芸者小さんを身受みうけして添はせんため、百両の金の工面にくるしみし折しも、由兵衛の妻小梅の弟なる長吉が
両座の「山門」評 (新字旧仮名) / 三木竹二(著)
女房に洗はせにはほして置たと有是等がたしかな證據しようこなり然れどもいまだ爭ふか不屆者ふとゞきものめと言れて九助は彌々いよ/\あきれ果私しの紙入は昨日金谷かなや法事ほふじの場所にて紛失ふんじつなし又衣類のすそへ血の付は金谷村の法事より歸りて後再び上新田村の無量庵むりやうあんへ相越し妻が實母じつぼ回向ゑかう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
むかしの東海道の日坂にっさか宿しゅくは、今日では鉄道の停車場ていしゃじょうになつてゐない。今日のくだり列車は金谷かなやほりうち掛川かけがわの各停車場を過ぎて、浜松へ向つてゆく。
小夜の中山夜啼石 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
と、受持の主任しゅにん金谷かなや先生は、ほめてくれた。
少年探偵長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
をり只今にも惣内夫婦が出たならわれは何と申譯致んぞと申さるゝにお深は又進み出恐れながら女は別人べつじんかは存ぜねども悴儀は衣類いるゐのみたるのみに是なくおび脚絆きやはん迄相違御座らぬと左右強情に言張いひはるに大岡殿大聲に又しても入ざる差出さしで默止だまれ其日は九郎兵衞同道にて惣内夫婦金谷かなや村の法會ほふゑせきまゐり歸りも同道なりしに九郎兵衞は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
金谷かなや先生しゃべる
少年探偵長 (新字新仮名) / 海野十三(著)