沼津ぬまづ)” の例文
それより南の方へ谷間を縫うて行くと、沼津ぬまづ領の境近き小山の中腹に高さ一丈五六尺、幅六尺ばかりの大岩がそばだっていた。それが鸚鵡石であった。
丹那山の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
斯くて江戸は東京となり、我々は靜岡藩士となつて、駿州すんしう田中たなかに移つた。其の翌年、わし沼津ぬまづの兵學校の生徒となつて調練などを頻りに遣らされた。
兵馬倥偬の人 (旧字旧仮名) / 塚原渋柿園塚原蓼洲(著)
汽車のなかに沼津ぬまづの人が乗りあわせていて、三、四年まえの正月に愛鷹丸あしたかまる駿河するが湾で沈没した当時の話を聞かせてくれた。その中にこんな悲しい挿話があった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ただ、君を見送ってから彼が沼津ぬまづへ写生にゆくということだけは、何度もきき返してやっとわかった。
出帆 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
博士は川手氏を待たせて置いて、三等切符売場の窓口に行き、沼津ぬまづまでの切符を二枚買った。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
なまじ所帶持しよたいもちだなぞとおもふからよくます。かの彌次郎やじらうめる……いかい——めしもまだはず、ぬまずを打過うちすぎてひもじきはら宿しゆくにつきけりと、もう——つつけ沼津ぬまづだ。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そうして東京、横浜よこはま沼津ぬまづ静岡しずおか浜松はままつ名古屋なごや大阪おおさか神戸こうべ岡山おかやま広島ひろしまから福岡ふくおかへんまで一度に襲われたら、その時はいったいわが日本の国はどういうことになるであろう。
時事雑感 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
連てゆかねばならぬ近くて沼津ぬまづ三島みしまとほくて小田原大磯おほいそなり夫迄は行まいが太儀たいぎながら手前たちせい出してくれ骨はぬすまぬと云に雲助共聞て口々に何親方の事だからかういふ時にでもほねをらずば何時恩を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
沼津ぬまづ在に居る時、西瓜すいか畑を荒らして、それが表沙汰になって三十叩かれて追放された——って。もっとも丁寧に勘定したら、二十七しか叩かなかった、お上にもお情けはあるんですってね、親分さん
同 沼津ぬまづ
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それもたゞ五六人ごろくにん病人びやうにんつた。あとへむらさきがついてりたのである。……どぢやう沼津ぬまづつた。あめふりだし、まだ眞暗まつくらだから遠慮ゑんりよをしたが、こゝでむらさき富士驛ふじえきひたい、——そのわかをんなりた。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
沼津ぬまづで東京の夕刊を買った。二面の大きな写真版。東京駅に着いたS博士はかせと出迎えの何々氏。S博士というのは日本人にも有名な独逸ドイツの科学者、旅行の途中上海シャンハイから大阪を経て今朝東京へ着いたのだ。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
どぢやう沼津ぬまづをやがてぎて、富士驛ふじえきで、人員じんゐんは、はじめてうごいた。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)