“曾子(そうし)” の例文
老子の道は孔子と異なるに似たれども、その帰する所は一意なり。不患人不己知(ひとのおのれをしらざるをうれえず)及曾子(そうし)の有若無(あれどもなきがごとく)実若虚(じつなれどもきょなるがごとし)などと云(い)へる、皆老子の意に近し。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
(四) 曾子(そうし)曰く、吾(われ)日に三たび吾が身を省(かえり)みる、人のために謀(はか)りて忠ならざるか、朋友と交わりて信あらざるか、習わざるを伝うるかと。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
古(いにしえ)は曾子(そうし)のいわく「以(もっ)て六尺の孤を託す可(べ)し、以て百里の命を寄す可し、大節に臨んで奪う可からず、君子人か君子人也(なり)」と。
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
曾子(そうし)はいっている、「心ここに在らざれば見れども見えず、聞けども聞かず、食えどもその味を知らず。」
〔譯〕君に事(つか)へて忠ならざるは孝に非ざるなり、戰陳(せんじん)に勇(ゆう)無きは孝に非ざるなりと。曾子(そうし)は孝子なり、其の言此(かく)の如し。彼の忠孝兩全(りやうぜん)せずと謂ふは、世俗(せぞく)の見なり。
呉起(ごき)は衞人也(ゑいひとなり)。好(この)んで兵(へい)を用(もち)ふ。嘗(かつ)て曾子(そうし)に學(まな)び、魯君(ろくん)に事(つか)ふ。齊人(せいひと)、魯(ろ)を攻(せ)む。魯(ろ)、呉起(ごき)を將(しやう)とせんと欲(ほつ)す。呉起(ごき)、齊(せい)の女(ぢよ)を取(めと)つて妻(つま)と爲(な)し、而(しかう)して魯(ろ)、之(これ)を疑(うたが)へり。
第一の学而篇は、孔子の語を八章、孔子と子貢(しこう)との問答を一章、有子(ゆうし)の語を三章、曾子(そうし)の語を二章、子夏(しか)の語を一章、子貢と子禽(しきん)の問答を一章集めたものである。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
居(を)ること之(これ)を頃(しばら)くして其母(そのはは)死(し)す。起(き)、終(つひ)に歸(かへ)らず。曾子(そうし)、(六六)之(これ)を薄(うす)んじて起(き)と絶(た)つ。起(き)乃(すなは)ち魯(ろ)に之(ゆ)き兵法(へいはふ)を學(まな)び、以(もつ)て(六七)〔魯〕君(きみ)に事(つか)ふ。〔魯〕君(きみ)之(これ)を疑(うたが)ふ。
呉起(ごき)其(そ)の己(おのれ)を謗(そし)りし者(もの)三十餘人(よにん)を殺(ころ)して、東(ひがし)、衞(ゑい)の(六五)郭門(くわくもん)を出(い)で、其母(そのはは)と訣(わか)る。((己ノ))臂(ひぢ)を齧(か)んで盟(ちか)つて曰(いは)く、「起(き)、卿相(けいしやう)と爲(な)らずんば、復(ま)た衞(ゑい)に入(い)らじ」と。遂(つひ)に曾子(そうし)に事(つか)ふ。